巻頭言
京都文学散歩 『高瀬舟』と『高瀬川』
永 橋 和 行

 縁あって、京都に住んで十二年が過ぎました。引っ越してきてすぐの頃は、観光気分でいろいろなところに出かけて、京都に住む喜びを感じていました。しかし次第に目の前の仕事に追われ、週末は、家で休むことも多くなり、気がつけば「葵祭」や「時代祭」が終わっていたということもありました。定年を機に読書を堪能したいと思いました。京都を舞台にした小説は実に多く、その舞台となった場所を訪ねる文学散歩は私の密かな楽しみの一つになっています。

 『高瀬舟』は、森鴎外の作品です。
 高瀬川は江戸初期に、京都と大坂を結ぶために造った人工の川(運河)です。江戸時代には、京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大坂へ回されていました。『高瀬舟』は、そうした罪人のひとりが護送される高瀬川を舞台に展開されます。護送役の同心、羽田庄兵衛は、牢屋敷から桟橋まで連れてくる間から、弟殺しの罪人の喜助の「いかにも神妙に、いかにもおとなしく…しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温情を装って権勢に媚びる態度ではない」様子に、不思議な気持ちで接していました。舟に乗ってからも、庄兵衛は役目を離れた目で、喜助の挙動に注意をしていましたが、「いかにも楽しさうな」喜助の態度が考えれば考えるほどわからなくなり、こらえきれなくなった庄兵衛は、「喜助。お前は何を思ってゐるのか。」と呼びかけてしまいます。この作品のテーマは、財産観と安楽死(ユウタナジイ)だといわれていますが、これは今の世を生きる私たちのテーマでもあります。

 『高瀬川』は、水上勉の作品です。
 鴨川の分流「みそぎ川」(夏になると、川床の下を流れるあの川です)から水を取っている川が高瀬川です。高瀬川は角倉了以(すみのくらりょうい)が開削した運河です。二条から木屋町通りに沿って南下し、また鴨川に合流しています。作品は、飲み屋「六文銭」での四人の女家族の生き様を通して、表層では華やかに見える、高瀬川沿いの街の昼と夜との陰影を「底の浅い高瀬川」に重ね映して描いているといわれています。「うちはおでん屋よりもバーがおもろい思うねん。表の半分を改造してな。洋風のスタンドにして…高級酒しかおかへんねん。かわいいバーテンさんひとり置いて。お姉ちゃんとうちがお店へ出て…品のよいお客さんを片っ端から籠絡してやんのやな。そんなん、面白いやないか、姉ちゃん。」という気性の強い妹の露子に引っ張られながらも、母(兼子)、姉(由枝)、姉の子(みどり)の家族模様が展開していきます。

 高瀬川の両側は、飲み屋が多く観光客でにぎわう繁華街ですが(春は、意外と知られていない桜の名所で、高瀬川をバックにした桜は見事!)、また幕末の志士たちが暗躍したのも、高瀬川沿い(木屋町)でした。普段は、『高瀬舟』や『高瀬川』の作品を意識しないで歩いていますが、少しでも意識すると、歩くスピードもゆっくりとなり、見える風景も変わってくるのが不思議です。
(京都府 立命館小学校・大阪大学 非常勤講師)

  〈参考文献〉
   ・河村吉宏 他「京都文学散歩」 京都新聞出版センター 2006年
   ・真銅正宏「ふるさと文学さんぽ京都」 大和書房 2012年