ユーモアを解する読みの難しさ
蜂 屋 正 雄

 物語文は、登場人物の心情や情景の表現を読み解くことができるように指導するもの、読み物教材は作品の良さを一人一人が感じ、それを他者に伝える方法を習得するもの、と思いながら指導をしてきた。しかし、今回の「ミリーのすてきなぼうし(光村2年)」では、一読後の感想である「ミリーの帽子はすてきだなぁ」で終わってはいけないような気がして、少し、読み解く時間を設けた。

 大人の自分が読むと「店長さんのユーモアセンスのある優しさとミリーの奔放さの対比」にも魅力を感じるのであるが、子どもたちの読みは「ミリーの帽子の不思議な面白さ」「想像すればみんなすてきなぼうしが持てる素敵さ」に終始しており、直接的には書かれていないところに気づいている子どもはいなかった。このまま、「好きなところを書く」練習をしても、浅薄なものにしかならないと感じ、少し読み深めていくことにした。

 そこで、物語文を学習するように、初発の感想で書かれた疑問を解いていく形で、学習を進めた。
 「105ページのベビーカーに乗った赤ちゃんの金魚鉢が落ちないのはなぜか」
 一読目で、まだ、内容が十分に理解できていない子どもの疑問であるが、
 「それは、想像したらいいんやから。」
 「それは、あかちゃんのぼうしなんやから。」
 「だから、ゴルフしてるひとのもあるやろ。」
 「ぞうぞう」ということばはすぐに出てきて、みんな納得して次に進むことができた。

 「99ページでは、「中はからっぽ」と書かれていたのに、101ページでは、「おさいふのなかみをぜんぶ手にとり」と書いてあるのはどういう意味か分からない。」
「ほんまや、何渡したんやろ。」
 教師が気づいてほしいポイントの入り口の質問である。その後、「お店のうらの方へ行ってしまった」店長さんが何をしに行ったのか、少し戻って、天井を見上げてしまった店長さんは何を考えていたのか、といったことを話し合った。

 それぞれの思いや考えを交流したが、全員を納得させる話し合いにはできなかった。ここで教師の結論として、強引にまとめてしまうことも考えたが、作品の読みとしては残念過ぎるように思い、オープンエンドで紹介メモづくりに移った。
 紹介メモでは、優しい店長さんのユーモアで、想像力をつかえばよい「すてきなぼうし」を丁寧に渡してくれる店長さんと自由奔放なミリーとのやり取りの面白さについて書いた子は数人で、半数以上の子どもたちは、初発の感想で感じたことを「すきなところ」として書いていた。

 同じようなシチュエーションのお話を読み聞かせつつ、2学期以降、また「ミリーのすてきなぼうし」を振り返り、直接的には表現されていないことについても読み解けるよう、計画を立てていきたい。
(草津市矢倉小)