▼教材「海の命」(立松和平)の山場であるクエと出会った場面を子ども達と読みあった。授業という場でないので興味がある子が話題に加わった。

▼最初は、すでに学習をしているので、知っているということを得意げに話していた。そこで、「この場面で、太一はどこにいるの」と、極めて分かりやすい質問をした。「追い求めているうちに、不意に夢は実現するものだ」からは、その根拠はない。このことを契機に、「父はもぐり漁師だった」「与吉じいさは、毎日一本づりに行っている漁師だった」を見つける子が発言をする。「太一の夢は何だったのか」とつぶやく子に、「瀬の主」と「クエ」を使い分けた説明する子等、話題はあちこちへ広がった。短い時間だったが会話が弾んだ楽しさがあった。

▼その日の帰り、「あれから、もう一度、読み返したら、もり(銛)がででくる三つの文章から太一の行動も大事だと思えるようになった」と大発見のように話かけてきた子があった。千文字前後の文章であるのに、読む手がかりは多いことに気がついたという意味であろう。「なぜ、太一はクエをとらなかったのか」という問いでは見逃す文章の着目である。「もり(銛)」への着目であった。

▼「主体的」「対話的」とは何かを考えるときの手がかりを得る貴重なひとときであった。 (吉永幸司)