調べることと言葉
西 條 陽 之

 学校が再開し、1月が過ぎた。3年生の教室にも子どもたちの明るい声が響いている。新しい生活様式も少しずつ定着し、問題にぶつかっては、大人も子どもも考え、議論を重ねている。学習の型も変化を余儀なくされているが、子どもたちの好奇心や探究心は変わることなく、今日もオサムシを捕まえては、命の在り方について話し合い、合意形成がなされていった。

   「仕事のくふう、見つけたよ」(光村3年上)の学習では、本やインターネットを活用して報告文を書いた。
 「インターネットは便利ですが、難しい字や言葉がたくさん出てきます。そういったときはどうすればよいでしょう。」と言った私の問いに、
 「先生に聞いたらいい」「友だちに聞いてみる」「国語辞典で調べればいい」との答え。調べる活動をしているときにも、度々読めない字を尋ねに来る子どもたち。
 「読めない字の前の言葉や後ろの言葉から予想してみましょう」と1つ助言を加えた。

 3年生にとって、本やホームページにある言葉はたいへん難しいものである。言葉にこだわる指導を怠ると、画像やイラストなど視覚的な情報ばかりを求めてしまい、偏った理解へとミスリードしてしまう。言葉ではなく心で理解する。と言う考え方も大切であるが、少ない語彙で挑む思考は、広大な海を浮き輪1つで漂うことに等しい。その広さも、深さも、言葉という道具を使ってこそ発見できるのであり、見える景色が全く違ってくる。

 仕事を調べて分かったこと、考えたことの書き分けに取り組んだ。知っていることは分かっているけれど、知らないことを切り取るだけでは、魅力がない。読む相手を意識して、何を伝えたいのかを大切にして書くようにした。完成した文を読み合い、お互いを大いに褒め合うコメントを書いて学習を閉じた。ここで得た知識や技能を総合的な学習の時間の公共施設調べに生かしてもらおうと思う。彼らの目に輝く探求の炎を消さぬよう、今年も言葉を大切にしていきたい。
(大津市立小野小)