巻頭言
私と「国語教育」と「つなぐ会」
三 木 惠 子

 私は、友達の間ではもっぱらの「学校大好き人間。それも国語人間」とよばれている。というのは、頭の中はほとんど国語の授業のことでいっぱい。趣味は、授業をすること(ホンマカナ?)。何度も何度も教材解釈を繰り返し、授業研究をしたのでたいていの物語教材は空で覚えている。

 「なぜ、そんなに国語が好きになったのですか。」と問われる。大学生の頃、私は、熱心な友人に誘われて斉藤喜博先生が講師で入られている学校の研究会に何度か参加した。授業の善し悪しなど何も分からない学生であったが、そこで見た「教育の奇跡」が私に国語教師になろうという夢を育てたといえる。
 斉藤先生の指導は、教師主導、教師の教材解釈が全てで子ども達を教師の解釈に追いこんでいくものであった(と今の私は思う)。しかし、あのとき見た教師達の情熱と授業の中で変容していく子ども達の姿は、「教育とは、子どもも自分をも育てるすばらしい仕事」と思わせたのだ。
 そして、縁があって「どうよんの会」という研究会の事務局を手伝わせていただいた。

 新任時代には、「自分は大学時代から教師の勉強をしている」なんて鼻を高くしていた私は、新任研修の代表授業を引き受けた。必死で教材研究をし自信を持って臨んだ授業であったが、もちろん子ども達の口は次第に重くなり、指導案の半分も進まなかった。苦い研究授業のスタートであったが、自分の解釈の深さに満足しそれを子ども達に求めることが、よりよい授業を創ることではないこと、年間を通して、子ども達に言葉の力を付けていくことの大切さを感じることができた。

 それから、ベテランと言われる年になっても、満足できる授業なんてできないでいる私に「『国語教育の実践と研究をつなぐ会(通称つなぐ会)』に来ないか」との誘い。参加してその内容の濃さに驚いた。持って行った実践は必ず取り上げてもらえる。厳しい助言もあるが、ここは良かったと褒めてももらえる。お上手しか言わない学校の研究会とは、雲泥の差。私が求めている授業をみんなでわいわい言い合って創っていく会。どんなに拙い実践のように見えても、必ず「いいとこ見つけ」をして褒める。そして、さらによりよい授業にするためにはどうしたらいいかアドバイスを届け合う。
 大学の教員、小中高の教員、学生も同じ土俵で意見を言い合える場。「ここに来ると必ず得るものがある」
 なお、「つなぐ会」は、月に二回程度、堀江祐爾(神戸女子大学教授・兵庫教育大学名誉教授)先生の自宅で会費なし宿題なしで開催している。
(兵庫教育大学非常勤講師)