授業の名言から考える 3
森  邦 博

 話し合いの「準備時間」
「今の時代に、国語の先生で話し合いをやらせない先生なんていません。なんでも話し合ってごらんということになっているでしょう。」
 大村はま先生の著書「教えることの復権」からの抜粋である。
 一方的教授を改善し、子どもを学習の主体とすることは授業実践の課題であろう。
 子どもたちが話し合っている授業風景を思い浮かべるのは自然で当たり前だと思っていた。それに対し批判的な響きを感じる文章である。若干の違和感を持ちながら、その先を読んでいった。
 すると、
「ある問題が出てきて、即席で心を通じ合うような話し合いができるなんて、そんな日本人はいないですよ。」
「だからしっかり準備するんです。」
の文に出会い、はっとした。
 確かに「準備」が不十分なままで、「では、このことについて5分で話し合いましょう」と指示して机間指導をする場面はよく見受けないか…?
「いけないのは、話し合いを教えていないということ」
と、続く。
 活動はしているが教えてはいない(=指導していない)のではないかと問われているのだとも思った。
「子どもだけに任せて子どもに司会させて、教師は見物していて、もっとしっかり発言せよなんていうのは、教えていることにならない。」
との教えが続く。
 では、話し合いで考えを深め・広げようとするにはどうすればよいのだろうだろうとの思いを持って読み進める。
「話し合いの前にはまず教材を用意する。その教材をもとにして準備時間というものを持ち、」
「話し合うことはない、言いたいことはない、と言う人が話し合いの席にいたらはじめから話にならない。言いたくてしょうがないことが胸の中にあるようにしないと。
 それが準備時間ですね」
 「準備時間」にするべきことが見えてきた。
 教材との出会いによって子どもの中に、「聞いてほしい。みんなの考えを聞きたい」や、「迷っているので、意見や感想も 聞かせてほしい」を作り、話したくなって始まる話し合いに変えるための手立ての工夫を、もっと大事にすることではないかと自問する。
 また、実践を振り返り子どもの姿に学びながら修正し、より確かな授業を構築していくことを大切にしていきたい。
(京都女子大学非常勤講師)