▼「言葉による見方・考え方」「主体的・対話的で深い学び」の研究や実践の成果が紹介され、求めているものや方向が明らかになってきた。昨年夏の日本国語教育学会で田近洵一先生は、芭蕉の「古池や蛙飛込む水の音」の表現過程を、「岩鼻やこゝにもひとり月の客」では去来と芭蕉の作品に対する捉え方を例に言葉による見方、考え方についてお話をされた。

▼全国大学国語教育学会では、「文学教育における『深い学び』」のシンポジウムで、鶴田清司先生は、「ごんぎつね」の子ども感想を引用し「深い学び」に言及された。(学会誌86集)その作文は「友達の教科書を借りて絵をかいてしまった。ゴメンねと謝ったときは許してもらえたが昼休みには許してもらえない。手紙で書いても許してもらえない」というもの。感想には、「わたしはごんであり兵十でもある」と述べた部分を取り上げておられた。

▼あらためて、「国語の授業で言葉を学ぶ」ということは、言葉に新しい意味を見つけることにあるのだろうと考えた。教材を読むとき、おやっと思って立ち止まった言葉を「こういう意味」と置き換えるのは簡単。置き換えることを含め、言葉について考えることが大事なことである。使いなれた言葉に新しさを感じる国語科授業を超えた人間力を育てる国語教室づくりが原点だろう。(吉永幸司)