巻頭言
声 を 失 う
長 江 柳 子

「ご主人は、喉頭癌のため喉頭の全摘手術となります。話すことはできなくなります。」  昨年9月に、日赤の医師からこう告げられました。その頃私は、まだ現役であったので毎日が忙しく、ゆっくり話すことも無い日々でした。また普段から寡黙な夫であったので、話すことができなくても、命があればと思っていました。医師の話を聞いた私は、「歌手のつんくさんと同じですね。」と応えていました。つんくさんは、声を失うという、歌手にとって致命的な出来事でも、筆談やパソコンを使って講演や作曲を続けておられました。その姿に、努力すれば人は色々な可能性を持っていることを教えてもらいました。夫は数年前に定年退職した後も、京都女子高校で数学を教えていましたが、声が枯れて出なくなってきました。ヘビースモーカーだった夫に、病院へ行くように何度勧めても、風邪だからと一年間そのままにしていました。その間に、癌は相当進行してしまっていました。教師にとっても声を失うことは致命的な出来事ですので、すぐに仕事を辞め治療に専念しました。今は、小さい声なら少しは聞きとることができますが、込み入った話や長文は筆談です。

 私もこの3月に定年退職し、時間にゆとりのある日々が始まりました。夫と会話をする時は、口元を良く見て内容を理解しようとしています。「人と話をする時は、相手の目を見て話をしましょう。」と子ども達に指導していましたが、今は毎回の会話がそうなっています。定年後に、夫婦で相手の口元を見て真剣に会話をしているのは、恐らく喉頭全摘手術を受けた皆さんなのではないか(?!)と密かに思っているこの頃でもあります。

 以前、障がいを持った方が、「障がいは、不便ではあるけれども不幸ではない。」と書かれていた本を読んだことがありますが、今はそれがよくわかります。電車に乗っても買い物をしても、人と関わる時には会話が必要です。しかし、相手から反応が無ければ嫌な気持ちになります。先月、山を歩いていた時に、向こうから来られた方が、「こんにちは」と挨拶されましたが、先を歩いていた夫は無言でした。何も言わないのは失礼でしょ。と思ったのですが、あっと気がついて、言えないのだと反省したことがありました。これは、不自由です。ただし、話せないことを、身振り手振りで、あるいは私が伝えることによって、相手の方はわかってくださいます。わかった上で、夫に必要な対応をしてくださいます。

 話せないことは、不自由で不便です。しかし、その不便さを前向きにとらえていくように日々を過ごして行きたいと思っています。今、夫は摘出手術をされた方々と食道からの発声法を練習しています。食道発声法を練習している夫と、先日産まれたばかりの孫と、どちらと早く会話できるようになるのか楽しみでもあります。そして、すぐに話が出来るという当たり前のことが、こんなにも有難いことだったのだと改めて感じているこの頃です。
(前京都女子大附属小学校教頭)