巻頭言
現場からの報告 ~私立小学校六年生の言語環境における一考察~ (2)
長 谷 川 一 郎

 数年前に「六年生の子ども達の事で、何が一番気にかかる?」と、六年生の保護者懇談会の前に学校長から質問を受けたことがあった。その時すかさず答えたのは、「六年生の子ども達は、毎日誰と会話しているのか。今の六年生は、親や祖父母、兄弟などの身近であるはずの家族とともに過ごす時間、中でも一緒に話す機会が圧倒的に少なくなってきている。学校や塾の先生、そして友達。その関係ですら、デジタル機器の普及やSNSの発達、勉強中心の生活によってどんどん希薄になっているのが現実だ。彼らはそんな言語環境の中でどのように言語感覚を磨き、言語力を形成していくのか。まずは、幼少期から親しみのある家庭の中での日常的な会話において学ぶことが大切ではないか。」という内容だった。

 私達もしくは我々教師が日々の学習指導の中で、子ども達の言語環境を改善し、言語力を身に付けさせていくことは言うまでもない。しかし、家庭での会話によって言語感覚を養い、家族の愛情を深めていくということは、洋の東西を問わず、人間の営みが始まって以来の教育の原点ではないかと強く感じる今日この頃なのである。

 また、会話と同様に懸念されるのは、読書体験である。全国的に小学生の読書量は中高生と比較すると多いと言われている。しかし、中学受験を行う六年生にとってはそうもいかない。受験勉強に多くの時間を費やすので、僅かな余暇の時間を読書に充てるのは困難であり、必然的に「読書離れ」が起こっているのである。

 このように、中学受験を行う六年生は、生活スタイルや嗜好の変化によって、家族や周りの人達とのコミュニケーションの機会が減少し、読書量も不足の一途を辿っていることが考えられる。即ち、十二歳までに身に付いているはずの言語力がなおざりになってきているのである。このことは、これからの令和時代の担い手となる子ども達の全人格に関わる重要な問題である。

 私は、まずは学校現場において教師が一つひとつの言葉をよく吟味しながら、大切に、思いを込めて発すること。そして、子ども達の表現の根幹となる、様々な物事に対する「ものの見方」を鍛えていくこと。これらに重点を置いた指導を心がけつつ、子ども達と日々コミュニケーションを深めながら言語環境の改善を試みていきたい。

 知識偏重型の教育が横行して久しい今、原点を見直し、言葉の礎となる心根を育てていきたいものである。
(京都文教短期大学付属小学校)