愛 犬 ナ ナ
好 光 幹 雄

 「来た、行くぞ。」「僕も行く。」
 小学校2年生と幼稚園の男の子二人が、家を飛び出して行きました。17、8年前のことでした。
 毎日夕方になると、小型犬を5・6匹連れて近所の方が散歩します。可愛いシーズーです。実は、その方は自営業の傍ら、シーズーのブリーダーもされていたのです。毎日毎日、散歩のお供をして、犬が大好きな事をアピールしていたのです。そして子ども心に、何匹も犬がいるなら1匹ぐらいもらえないかなと思ったのでしょう。「僕も犬飼いたいな!飼いたいな!」「犬が欲しいな!欲しいな!」
 そんなことを言いながら、犬の散歩を取り巻きながら一緒におじさんと歩いたのでしょう。

 ある日、2年生の長男が、目をキラキラさせて、散歩から帰ってきました。
「おじちゃんが、犬くれるって! 本当に、くれるって!」
 ブリーダーのおじさんも、とうとう子どもたちに犬をあげると約束してくれたのです。後1月したら、子犬が生まれるから、その中から好きなのを選んでもらっていいよと約束してくれたのでした。 「お父さん、子犬が生まれたねん! 見てきたよ。めちゃめちゃ可愛いねん!」
「そうか。良かったな。どれにするかきめたか?」
「ううん、まだ決めてない。もうちょっとして、エサが食べられるようになったらあげるって。」
「そうやな。まだお乳飲んでるもんな。」
 それから何週間かして私と二人の男の子と一緒に、ブリーダーのおじさんのアドバイスをもらいながら決めました。中でも、一番可愛い子犬です。私は、子ども達が選んだ子犬を、まるで産院から連れて帰ってくる我が子のように、胸にしっかり抱いて帰りました。メスなので、名前はナナです。

 子ども達は、一生懸命、世話をしました。散歩、エサやり、しっこマットの交換、シャンプー。
 そんな中で、子ども達の心の中に自然に芽生えたものがありました。それは、もの言わぬナナに話しかける話し方です。しかも、その話し方は、
「ナナちゃん、お腹が減ってたんやね。今あげるからね!」
「ナナちゃん、散歩がしたいんやね。今から行くからね。はい、ちゃんとリードつけるんやよ。 わかったね。待て、待て。」

 何かお気づきですか?「・・・ね」という言い方です。
 人の会話の仕方には、幾つかに分類できますが、その一つに、 賞賛と共感型があります。「〜と思ったんですね。」「〜と考えたんですね。」「〜と感じたんですね。」「いい〜ができましたね。」つまり、相手に共感する話し方。微笑んだりうなずいたりする話し方です。
 もの言わぬ相手に愛情を持って接していると、相手の行動や表情から、相手の心の中を感じ取り、相手に対する共感的な言葉が生まれてきます。生き物、乳児、病人、老人、悩み困っている人等。そういう人への会話を聞いていると「〜ね」という表現が随所に出てきます。
 赤ん坊が何も言わないのに「お腹かが空いてたんやね。ごめんね。すぐあげるからね。」と、「〜ね」で話しかけている母親をよく見かけますが、あれは健全な共感型の母性愛の表出なのだと思います。
 我が家では、もの言わぬ愛犬が、子ども達の心を共感的にしてくれたのだと思います。
「ナナが子ども達を優しい子にしてくれたんやね! ありがとう ナナ!」
(さざなみ国語教室同人)