巻頭言
大村はま国語教室に学ぶー「主体的・対話的で深い学び」の実現を目指してー
伊 木  洋

 「主体的・対話的で深い学び」の実現を目指した授業改善が求められている。

 学習者主体の学習指導は、これまでの国語教室でも探究されてきた普遍的な課題である。学習者を主体とした学習指導を求めるならば、学習者を起点として学習指導を構想することは当然のことであろう。しかし、現実の国語教室では、教科書の教材を学習指導の起点とし、教材をいかに教えるかという立場から学習指導が構想されてきたことは否めない。今こそ、学習者を起点とした学習指導に転換すべきときである。

 学びを広げ、豊かなものにするために、対話的な学びも重視されている。学習者相互の協働的な学びを生み出すためのさまざまな工夫が試みられている。留意すべきことは、手段が目的とならないようにすることである。何のために対話的な学びを取り入れるのか、指導者は常に目的に立ちかえる必要がある。

 国語科における深い学びの鍵を握るものとして、「言葉による見方・考え方」がキーワードとして、示されている。決して、新しいことではなく、言葉そのものを学習の対象とする国語科においては、これまでの国語教室で大切にされてきたように、言葉に着目し、言葉への自覚を育てることが求められているといえよう。こうした学習者主体の学習指導を国語教室において具現化したしたのが、「ことばの力」を育てることを国語教室の目標とした大村はまであった。

 大村はま国語教室では、目の前の学習者を起点にすえ、学習者の興味、関心、必要に応じて、育てたいことばの力を目標として設定し、目標達成のために、適切な学習材を準備し、豊かな言語活動を組織し、学びの実の場を通して、言語生活力が育てられていく。学びのプロセスにおいて、学び得たことを学習記録に記述することを通して、自らの学びを見つめ、学びの成果と今後の課題を自覚させ、自己評価力が育成されていく。

 大村はま国語教室においては、「ことばの力を育て、人を育てる」ことが目指され、「主体的・対話的で深い学び」が実現されていたと考える。国語教室において、「主体的・対話的で深い学び」の実現を目指すとき、『大村はま国語教室』(筑摩書房)に記された実践は、大きな示唆をもたらすものとなるにちがいない。
(ノートルダム清心女子大学文学部日本語日本文学科准教授)