巻頭言
ニホンゴがんばれ!
長 尾  寿

 はしを使って食事する国、ナイフとフォークで食事する国、素手で食事をする国とマナーは多様ですが、人種・信条を問わず、正しい鉛筆の持ち方は世界で共通しています。しかし、日本ではその常識が通用しなくなっているのです。
 昔むかしの教師は、子どもの鉛筆の持ち方がおかしいと丁ねいに教え込みました。むかしの教師はおかしいことに気づきながら、それを見逃しするようになりました。そして、今の教師は子どもたちの変化に何も感じなくなりました。
 そのため、鉛筆を正しく持って学習する子どもはほとんどいません。

 この不幸がスマホの普及により拡大し筆順などおかまいなしです。学習机から国語辞典は主役の座をスマホに奪われ脇役となりました。漢和辞典などというものは「これ何ッ!」と子どもたちにとっては無用の長物となっている現状が悲しいのです。
 私は、ドーデの『最後の授業』を想い出しています。「例え君たちが奴隷の鎖につながれても、国語を持っておれば、しばられている鎖を開ける鍵をもっているのと同じである」というものでした。
 数学者の藤原正彦さんは今の学校に必要なものは「一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数」と国語を強調しています。そして「公立小学校のカリキュラムに英語を入れてはいけない」「外国語教育よりも読書を」とその著書『国家の品格』で述べておられることは示唆に富んでいます。

 重くなっているランドセルを教科書のぶ厚さのせいにしてはなりません。ランドセルの重みの中味に国語の存在のずしり感が求められます。
 子どもたちの教科書は全国一律ではありませんが、私の住んでいる大津地区の国語の教科書は、一年生「たぬきの糸車」、二年生「スーホー白い馬」、三年生「モチモチの木」(いずれも下巻)など六年生まで、すばらしい教材に満ちています。たっぷり時間をかけた音読や詩の朗読など子どもたちの自律心をふくらませる授業を期待するものです。

 “ニッポンがんばれ!”はスポーツ界用語ですが、私は“ニホンゴがんばれ!”のエールを先生方の送ります。
(社会福祉法人風の子保育園理事長)