自らの「問い」から発進する国語科の学びに向けて
谷 口 映 介

 2015年8月の「教育課程企画特別部会 論点整理」にこれからの子供たちに求められる力として次の一節がある。
 「これからの子供たちには、(中略)蓄積された知識を礎としながら、膨大な情報から何が重要かを主体的に判断し、自ら問いを立ててその解決を目指し、他者と協働しながら新たな価値を生み出していくことが求められる。」(p2 新たな学校文化の形成より)
 この文言は、学校教育全体を指して述べられているものであるが、国語科においても例外ではない。ここで言われている「自ら問いを立てて、他者と協働しながら新たな価値を生み出していく学習過程は必要になってくるだろう。その為には、教師から学習課題として提示されたものだけではなく、学習者自らが「問い」を立てて追究することが必要になると考える。

 「問い」と言うと、教師の発問も含めて様々な形態がある。疑問詞を基準に、主な型を挙げると、文学的な文章の場合、次の様に分類することができる。
【物語の設定場面で】
 〇いつ型・・・時間について問う。
 〇どこ型・・・場所について問う。
 〇だれ型・・・人物について問う。
【文章の内容読解の過程で】
 〇なに型・・・事物・出来事の内容。
 〇いくら型・・数量や程度を問う。
 〇なぜ型・・・人物の言動における理由や原因を問う。
 〇どんな型・・人物の気持ちや場面の様子を問う。(情景描写等も含む)
【文章中の表現を示して選択させるもの】
 〇どちら型・・2つの内から1つを選ぶ。また、違いを説明する。
 〇どれ(の)型・・・段落・文・語などを抜き出す。

 今まで学習者が「問い」を作る学習は多くあったが、過去の実践例を分析しても「〇〇は、なぜ・・・(なの)だろう。」という「なぜ型」、「どんな気持ちだろう。」などを問う「どんな型」が突出して多かった。近年では、心情の読解・詳細な読解に偏りがちであった読みについては、自分の考えを持ち、論理的に意見を述べたり、目的や場面などに応じて適切に表現したりすること等に重点が移ってきた経緯がある。新学習指導要領もこの流れを受け継いでいる。
 これからの学習者の「問い」は、「気持ち」や「なぜ」ばかりを問うことではない。大切なのは蓄積された学びを活用した、例えば、「どのように気持ちが変化しているか」「色彩表現の変化の意味は何か」等の読みの観点を明確に且つ焦点化した「問い」である。これを自ら作り出せるようにしたい。
(滋賀大学教育学部附属小)