巻頭言
いつでも前をむいて
芦 川 幹 弘

 青木幹勇先生のご長男青木潤さんが富士宮市に行くので、会いたいとの連絡がありました。青木記念館が高知県土佐町にできてから、よくご一緒して高知にまいりましたので、うれしい連絡でした。青木先生によく似た温かい雰囲気です。その雰囲気に接して、若い頃ご指導いただいた二人の実践家を思い出しました。

 私が30才の時に、一通の封書が届きました。宛名を見ると大村はま先生からでした。大村先生には青木幹勇先生にご紹介いただいてから親しく指導していただいていました。「私はNHKの朗読講座で勉強を始めた。あなたも、勉強するといい」ということでした。大村はま先生83才の時のことです。大村先生に富士宮市で講演をしていただいたことがありました。家までお送りして二階まで上がりました。手術したばかりの足を引きずってもう一度一階に下りてきて送っていただいたことが忘れられません。

 青木幹勇先生は、私が31才の時、授業の指導に富士宮市の私の学級に来てくださいました。帰りに、車で駅にお送りしましたが、「あなたの学級なので期待して来たのに、、、。」という厳しい表情でした。数日後、一通の厚い封書が届きました。授業の課題が7枚の便せんにびっしりかかれていました。

 翌年の2月、沼津市で青木先生の授業を参観しました。残雪と大造じいさんの交流を、日記・対話・吹き出しなどで書く新しい発想の授業でした。「83才の私だって新しい工夫をしようといつも努力している。若いあなたもがんばりなさい。」その一言が心に響きました。

 その5年後、青木幹勇先生に授業を見ていただく機会が訪れました。4年生の授業でした。授業後、一緒にお酒を飲む時に「やっとあなたも関取になったな。」と乾杯してくれた笑顔が今も忘れられません。

 青木先生の90才での下関での授業、91才での6年生の沼津市での生涯最後の授業。この授業の前に、私も授業をさせていただき、家までお送りしたこと。そのときに、本棚のある部屋で奥様の手料理でお酒をいただいたことが懐かしい思い出です。

 おいくつになられても前を向いて歩いている二人の先生の姿に接することができたこと、後進を育てようと声を掛けてくださったことに感謝しています。
(富士宮市立富士根北小学校校長)