2学期の教室から
西 條 陽 之

◆たのしみは
 教室に賑やかな声が戻ってきた。子どもたちはそれぞれの夏を目一杯に楽しみ、喜びや悲しみを糧に心を強くしながら、学校に来てくれている。この子らの成長速度に負けないように、私もこの夏の学びを還していこうと思う。
2学期最初の国語の授業は、「たのしみは」の短歌づくりから始まった。江戸時代の歌人、そして国学者である橘曙覧によって詠まれた『独楽吟』から2首の短歌が紹介されていた。52首からなるこの連作は、どれも「たのしみは」で始まり「〜時」で締めくくられている。短歌の形式を掴むには教科書の2首を読めば十分であった。しかし、曙覧の持つ「心豊かに感じる眼」と同じ視点に立つためには、もう少し『独楽吟』を読むべきなのではないかと考えた。

  たのしみは 百日ひねれど ならぬ歌の ふとおもしろく 出きぬる時

 歌人として短歌と向き合う姿が思い描かれる。

  たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりける時

「そういう時、あるよね〜。」と時代を超えて共感する人もいるのではなかろうか。
 これら52首の中には、家族との思い出やふとした自然との邂逅のような尊大なテーマばかりではなく、現代の私たちに通ずる悩みや喜びと言った、機微なるエッセンスが盛り込まれている。52首全てを紹介するということはできないが、子どもたちが頷けるような短歌を紹介することで、「たのしみは」に込められた素朴さや自然体の良さを味わい、自分たちの短歌に向き合うポイントとなったようである。

◆手立てを増やす
 1学期、様々な音読の実践を行った。連れ読みやペア読みを始め、一斉読みやタイムトライアル、そして、国語科以外の教科でも、とにかく音読の機会を設けた。
 2学期に入って、その成果を感じる場面に出会った。それは、社会科の授業であった。
「久しぶやしパーフェクトにしよう。」
と子どもからの提案があったのである。「パーフェクト」とはパーフェクト読みのことで、詰まったり止まったりすることなく、スムーズに丸読みをしていくという活動である。子どもたちは、程よい緊張感と一体感の中で、嬉々として音読に挑戦していた。
 どのような手立てが目の前の子らにジャストミートするのかは、やってみなければわからない。子どもたちの学ぶ姿をいかに具体的に想像できるかが勝負所だと考えている。そして、この夏諸先輩方から教えていただいたことや先達の実践を自分の手立てとして備えておき、変幻自在に授業をつくっていきたい所存である。
(大津市立小野小)