子どもと作文に向き合う
西 條 陽 之

 書くことの力を身につけるためには、どのような指導が有効なのか。日々、頭を悩ませている。なんといっても「時間がない」のである。一人ひとりが書いてきた文章に対して割ける指導時間はあまりに少なく、原稿用紙の正しい使い方程度に止まることもままである。子どもにとっても、教師にとっても、苦にならない作文指導について見つめ直したい。

 最初の作文の授業では、200字の原稿で時間を15分に区切って、書き上げていても、間に合わなくても一度回収した。自分が一定の時間で書ける文量を認識するためである。15分あれば何文字書けるのか、また、以前よりも多く書けるようになったという実感が持てれば、この狙いは達成である。継続して様子を見る。
 子どもたちから集めた初稿を添削し、より具体的なエピソードや表現方法がないか、見直すポイントを書き込んで返却をした。

 書き直しに取り組む際、「推敲」の意味について指導をした。ただ朱書きに従い直して、綺麗に書くことを目指すのではなく、自分の書く技術を高めるために、その余地がないか、考えながら自分の文章に向き合うように。すると、初稿をじっくりと見つめ、自分の表現や文脈と向き合う時間が生まれてきたのである。ここで、「今、皆さんがしていることがまさしく推敲です。」と告げた。推敲という言葉を知り、自分が文章をよりよくしようと考えを巡らせていることが推敲であると自覚することで、作文に向かう姿勢を少し、厳格な、自己との対話的活動へと昇華させることができたのではないかと考える。

 子どもたちの作文は教室の後方に掲示しておく。子どもたちは、友だちの作文や教師のコメントを読み比べていた。自他の違いを意識する高学年の彼らにとって、同世代の所感や評価は気になるようである。互いの文章から優れた表現や面白さを見出す目も養っていきたい。良さを見つけられれば、自己の表現にも良い変容があると信じている。

 語彙の少なさも作文嫌いに拍車をかけている。木に例えるなら幹に、か細い枝が数本のびているようである。青々とした葉をつけるには、豊かな語彙が欠かせない。そのために、言葉集めの宿題を出している。気になる言い回し、使ったことのない表現を自分のものにするつもりで調べるのである。新聞でも、辞書でも、テレビでも、栄養満点の言葉はごろごろ転がっている。また、美しい花を咲かせ、果実をたわわに実らせるには、心に残るエピソードが欠かせない。心が動かなければ、書く意欲も動機も生まれない。コーディネート力と機微を見逃さない感性で土壌を耕すのは教師の仕事である。

 言葉の力は筆舌に尽くしがたい。言葉を豊かに知る、使う、受け取る。子どもたちにとってそれが「お直し」なのか、一流作家も当然している「推敲」なのか、意識の違いによって学びの質も左右されるのである。言葉を選び、遊べる程に書く力を育てられれば、教室の苦悶の顔もなくなるはずである。さて、3月はどんな顔をしているだろうか。
(大津市立小野小)