半世紀ぶりの母校
伊 庭 郁 夫

 12歳で卒業し、62歳で再び母校(新旭北小学校)へ。
 学校運営協議会の委員として学習参観や演劇鑑賞をしたり、協議会に参加したりした。元社会教育主事やスポーツ少年団の指導者としての立場だそうだ。

 半世紀前の小学生に少しタイムスリップしてみる。
〇中庭にはガッチャンポンプがあり、井戸水を汲み上げていた。
〇冬になると、教室の前には石炭ストーブ。後ろには、弁当を温める大きな箱があった。
〇6年生になると、早く登校し石炭ストーブに火をつける当番があった。やけに石炭が重かった。日本中、冬は大雪だと思っていた。雪道を歩く時は、前の人の足跡を踏みしめるように歩いた。
〇修学旅行は、伊勢。夫婦岩からの日の出と潮の香りの旅館は今も懐かしい。
〇運動会は、男子は白の短パン、女子は黒のブルマー。靴は足袋のようなものだったと記憶している。地区別対抗リレーがあった。
〇トイレには、たくさんのハエがいた。
〇6年生の時、プールができた。このプールだけが当時の面影を残している。

 現状、児童数は微減。どの教室も丁寧な板書である。驚いたのは演劇である。6年生の児童が、朗読劇をしたり、劇の中に子役として参加したりしている。朗読劇は、事前に台本をもとに繰り返しグループで練習を積んだそうだ。劇の子役は、周りの役者に支えられながらも堂々とした演技であった子どもを前面に出した姿勢は心打たれた

 第1回の協議会では、学校運営協議会の趣意と組織、平成30年度の学校経営と教育方針、年間の計画について説明を受けた。
 学校運営協議会を導入する学校をコミュニティスクールと呼ぶ。地域住民や保護者等が学校運営に参画するわけである。学校応援団的な側面を感じた。
 メンバーは5人で、子ども安全リーダー、ボランティアサークル代表、学童の担当、子ども食堂をされている方、本校保護者等熱い思いを持った方であり、ネットワークを大切にしていきたいと感じた。
 「学校を支援し、見守り活動を支援する」「子どもたちが地域に出るようにし、子どもたちを地域で育てる」「地域を活性化する」つまり地域総がかりで子育て・教育を充実させようというものである。

 第二の人生、「ご恩返し」「御恩送り」の精神で歩みたい。
(「福」虹の会支援員)