巻頭言
期 待 と 希 望
新 田 哲 之

 「天気に文句を言う」ということばを耳にした。イギリスのキャメロン首相(当時)が国民投票でEU離脱に決まった後の、「EU残留に関するデマや虚偽まがいの報道について影響があったのでは?」との質問に答えたことばである。報道に反論するのではなく、国民から賛成を得るための手を打つべきで、私はそうしたが、かなわなかった。報道に原因を持っていくのは天気に文句を言うのと同じだと、首相は答えた。

 文句を言うのはたやすい。しかし、文句を言って問題は解決するのか、混迷の中の光を見つけることはできるのかと思う。吉永幸司先生の「期待と希望」ということばが思い浮かぶ。大人は子どもに期待する。期待をすれば不満を持つ。学校の宿題でまちがった答えを書いている。そんなとき、「どうして、この問題ができないのか。」と大人は腹を立て、「何度も練習したのになぜ?」と責める。ここに解決の道はない。そうではなくて、希望を持つ方向に考えを向けてみる。「どうすればできるようになるのか。」と希望を持てば、子どもは試行錯誤して答えを出そうとする。うまくいかなければ、なんとかしようと創意工夫する。希望を持って生きる子どもになる。

 担任をしていた頃、アンネの日記を読んで心を動かした子どもがいた。アンネについてもっと知りたいと親を説得し、遠くまで足を運んで専門家の話を聞き、アンネのバラを持ち帰って育て始めた。バラの栽培は、アンネの考えがどうすれば多くの人に広められるか考えての行動だった。点字を教えれば点字で日記を書き綴り、手話を覚え、どうやれば点字や手話が広まるか考えていた。小学生なのでひとりの力ではできない。そこには親御さんの助けがあった。「どうやれば子どもの夢が実現できるのか」考える親御さんだった。その子どもはやりたいことをやり通して卒業していった。今、大学生になり、生命科学の分野で遺伝子研究をしている。相変わらず、答えのない答えを見つけようとしている。夢を志にして希望を持ち続けている。

 「さざなみ国語教室」には希望がある。子どもに眼差しを向け、どう活動させれば言語の力を身につけるかを追い求める先生方の姿が見えてくる。「天気に文句を言う」のではなく、希望に満ちている。
(安田学園安田小学校長)