全国文学館めぐり(9) 新美南吉記念館
北 島 雅 晴

 名古屋駅から名鉄河和(こうわ)線に乗り40分、半田口下車。駅には「南吉とごんぎつねのふるさと半田」と書かれた看板があり、町ぐるみで南吉を応援しようとする雰囲気が伝わってきます。駅近くには、南吉の生家が復元されています。生家は知多半島を横断する大野街道沿いにあります。南吉は子どもの頃、街道を通行する人々の様子を見るのが好きだったそうです。この辺りにあるお寺や常夜灯は、南吉の作品の中に登場するものです。
 大野街道を外れて北へ向かうと、矢勝川の堤防が見えてきます。この川は、兵十がうなぎをとった川だとされており、川の北にはごんが住んでいた権現山があります。南吉の作品には地域性が色濃く出ているので、作品に関わる場所を散策するのがお勧めです。

 当記念館は、南吉生誕80年、没後50年をきっかけとして、「ごん狐」の舞台となった中山に建てられました。「ごん狐」に登場する中山様は実在の人物で、中山勝時といいます。戦国時代に織田信長に仕えましたが、本能寺の変の後、二条城で討ち死にします。そうしますと、「ごん狐」は1570年代頃のお話と想定してもよいでしょうか。
 記念館の資料はよく整理されており、南吉の生涯について年代別に7つのエリアに分けて展示されています。
(1) 誕生から小学校卒業まで
 南吉が4歳の時に母がなくなり、新美家の養子になるなど、家庭的にはあまり恵まれていませんでした。
(2) 中学校入学から上京まで
 14歳の頃の日記には「余の作品には余の天性、性質と大きな理想を含んでいる」と書かれています。創作に対する自信が伺えます。
(3) 巽聖歌との出会い
 聖歌は南吉を文学の世界へと導き、南吉の死後は彼の作品を世に出した詩人です。
(4) 岩滑への帰郷、病気との闘い
 24歳の時、病気のため失意のうちに帰郷します。ここでも聖歌との手紙のやりとりはつづきます。
(5) 南吉文学の幕開け
 安城高等女学校の教諭として充実した日々を送ります。
(6) 「おぢいさんとランプ」から永眠まで
 南吉が29歳で亡くなるまでの2年間は、作家として最も充実した時期で、代表作が次々と生まれます。死を覚悟して書いた弟への遺言状が心に残ります。
(7) 南吉顕彰の歩み
 南吉の死後、その業績を伝えるための取り組みが紹介されています。

 南吉といえば「ごんぎつね」と「手ぶくろを買いに」が圧倒的に人気があります。特に「ごんぎつね」は昭和55年以降すべての小学校の教科書に掲載されており、このお話を知らないという人はいないでしょう。
 その他、子どもたちに読んでほしい物語を題名のみ挙げてみます。
《低学年》 「一年生たちとひよめ」 「でんでんむしのかなしみ」
《中学年》 「正坊とクロ」 「花のき村と盗人たち」
《高学年》 「牛をつないだ椿の木」 「うた時計」 「最後の胡弓ひき」 「おぢいさんのランプ」

 南吉の作品には、弱い者への温かいまなざし、古いものへの愛着を感じることができます。また、情景描写が巧みで、場面の様子を鮮やかに思い浮かべることができます。(こんな文章を書くことができたら‥)とあこがれてしまいます。
(さざなみ国語教室同人)