共に生きる
弓 削 裕 之

 「夜明け告げるルーのうた」(湯浅政明監督)というアニメ映画を観た。「不吉なもの」として人間から忌み嫌われていた人魚が、災害から人を救ってくれる話だった。人魚の優しさと自分たちの過ちに気づき、今度は人も人魚を助けようとする。「共助」の姿が描かれており、震災を思い起こさせる内容だった。フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリに選ばれた本作だが、その選考理由の一つとして、移民問題との重なりがあったらしい。

 京都私立小学校連合会が主催する人権研修会で、大津市教育長の桶谷守先生のご講演を聞いた。演題は、「いじめ問題のその対応―最近の重大事態の事案から見えてきたもの―」であった。

 人は動物として、本性の中に他人を攻撃する仕組みが組み込まれているため、「いじめ」は人間の本質に関わる問題であるという。しかし、「教育」(家庭教育、学校教育、社会教育等)を受けることにより、他人を攻撃することなく、仲間を大切にし、思いやりを持つことができるようになる。この力を「共存能力」というそうだ。

 教材として、三つが紹介された。『わたしのいもうと』は、転校先の小学校で言葉の違いや跳び箱ができないことなどを指摘され、同級生みんなからいじめられた四年生の女の子の話。図書館でもよく見かける、松谷みよ子さんの絵本だ。姉の視点で、妹が日に日にやせおとろえていく様子が描かれている。最後は部屋で孤独に折鶴を折りながら、ひっそりと亡くなっていく妹の姿で締めくくられる。『さかなのなみだ』は、魚の生態に詳しいことで有名なタレントのさかなクンが、いじめに対する自分の思いを語ったもの。海では仲良く群れで泳いでいるメジナだが、そのメジナを狭い水槽に入れると、一匹を仲間はずれにして攻撃をし始める。かわいそうだから別の水槽に入れると、今度はまた違う魚が仲間はずれにされる。小さな世界に閉じ込めると、なぜかいじめが始まる。いじめられている子への「広い海に出てみよう」というメッセージだった。

 どの教材でどんな風に指導するかという桶谷先生の問いかけがあった。私は、三つ目の教材、『一九三七年のいじめ「油揚げ事件」』を読み、他の二つと比較することで、今日的ないじめの課題に気づくのではと思った。弁当に毎日油揚げが入っている中学一年生の男の子が、一部のクラスメイトから「アブラゲ」というあだ名をつけられ、筆記用具を隠されたり、馬鹿にされたりしていた。そのことをよく思わないクラスメイトの一人が、いじめている子に対し「卑怯だ」と殴りかかり、取っ組み合いのけんかになるという話だった。この一件の後、男の子はこれまでにないほど明るい顔になったと書かれていた。

 「大丈夫」の一言でいい、「おはよう」とあいさつするだけでいい、目と目が合ったら、にこっと笑いかけるだけでもいい。いじめを受けている子にとって、同じ環境の中にいながらも自分を気にかけてくれるクラスメイトの存在は、生きる希望になるのではないか。それが、「共に生きる力」ではないか。
(京都女子大附属小)