巻頭言
我以外皆我師也
渡 部 理 恵 子

 今までたくさんの「師」に出会い、今の自分がいる。小学校時代の師、吉原先生は毎日書くことの大切さを教えてくれた師である。日記に作文、班の交換日記、とにかく毎日書いた。それには必ずコメントが入って戻って来た。さらに学級便りには毎日誰かの作品が掲載され、本人が音読することになっていた。楽しいことだけではない。苦しいことも考えていることも批判もあり、泣きながらの音読もあった。その中から、文章はその人の見た目ではわからない内面を映し出すものであることを知った。日頃穏やかな人に熱い思いがあること、顔では笑っていても心で泣いていたこと、先生は書いたものを通して、私たち子供同士を出合わせてくれていたのだ。そして、書くことは楽しく、読んでもらうことは嬉しいことだと教えてもらったのである。

 一人一人を大切にしていた師を思いながら今、私も子供達に日記やノート、作文、短歌など毎日何かしら書くことをさせている。くすっと笑ってしまうものもあれば、胸が熱くなるもの、涙が出そうになるものにも出会うことができる。コメントを通して子供と先生が交流し、読み合うことで子供同士が交流する、新たな気付きや感動を分かち合う機会とできるかどうかが大事なのだと改めて思う。

 目賀田八郎先生は、社会科の先生である。「キャリア教育」の研究をきっかけに出会うことができた師である。どの時代も、自然や環境を活かして、よりよく生きようとしている人々の営みがあること、「人」と「仕事」に着目し、自分をそこに置くことで見えてくるものがあることを教えていただいた。時を超えてその時代に身を置いてみる、空間移動してその場所に身を置いてみることは、資料との対話と想像力が必要である。資料から読み取れることを考えて出し合う、そこから気付くことを話し合う、そしてその場所で暮らす人、働く人のことを考える。やはり子供と先生が交流し、子供同士が交流し、時間や空間を超えてその時代や場所の人々と出会い、学び、交流できるかが大事なのだ。

 時には吹き出しでそこに居る「人」の気持ちを理解し、時には手紙で話しかけてアプローチする。学んだことを新聞やパンフレットなどにまとめて「人」に伝えていく。「我以外皆我師」と、様々な人や事象から学び、人に働きかけていく学習を積み重ねていきたい。
(東京都世田谷区立等々力小学校 )