言葉に親しみを
弓 削 裕 之

 先日、担任をしている6年生の女の子の日記を読んでいて、思わず赤ペンの手が止まった。

 「陰暦」の言語力検定がありました。毎日ノートに書いているので、親しみを感じました。

 国語のノートに書く日付を陰暦にしてからもう10年ほど経つが、陰暦に親しみを感じると言う子どもに出会ったのは初めてだった。しかも、テストを受けている時にそのように感じるというのがすごい。毎日使っていれば、言葉にも親しみを感じるようになるのかと、驚いた。
 登校してきた6年生の子どもたちに、「親しみを感じる言葉はありますか」とインタビューしてみた。聞かれた子は、どの子も意外そうな顔をして、「そんなこと普段考えたことないですよ」と恥ずかしそうに笑った。それでも「少し考えさせてください」と一生懸命考えて、「さっきの質問の答えですけれど…」と自分から言いに来てくれる子もいた。

○おはよう…あまり親しくしていない子から言われるとうれしい。その子に親近感を覚える。おはようをきっかけに仲良くなる。
○ありがとう…気持ちがこもっている。自分がしたことに対して言われる。みんなが親切にしてくれるから、よく使っている。そのお返しをすると、今度は相手から言ってもらえる。
○親友…本物の友だちだから。宝物。
○友情…好きなマンガのテーマになっているから。
○人…ふんわりしているから。緊張しているとき、手のひらに書くから。
○いじわる…自分だな、と思う言葉だから。

 他にも、「遊ぼう」「大丈夫」などを選んだ子がいた。どちらも、友だちから言ってもらった言葉のようだ。「人を傷つけない言葉なら何でも」と言った子もいた。また、数人の子が、「具体的な言葉は思いつかないけれど…」と、言葉に親しみを感じるシチュエーションを話してくれた。「友だちと冗談を言い合っているとき。きつい言葉でも、仲がいいと親しみを感じる」「悩みや愚痴を言い合ったり、自分のことを話したりするとき。何を言っても分かり合えるから」言葉と自分との距離は、その言葉を使ってかかわる相手(または自分自身や事物)との距離と比例しているように感じた。

 では、「陰暦」に親しみを感じた子のように、言葉そのものとの距離を縮めるには、どうしたらよいのだろう。毎日読んだり書いたり話したり聞いたりすることで、言葉との距離を縮めることができるのなら、国語とは、言葉と仲良くなるための勉強なのかもしれない。
(京都女子大附属小)