全国文学館めぐり(1) 壷井栄文学館
北 島 雅 晴

 当文学館のある小豆島は、周囲126キロ、人口3万人。瀬戸内海で2番目に大きな島です。オリーブ園の広がる広々とした土地をイメージしていましたが、丘陵地が海岸までせまる地形が特徴です。島から見る瀬戸の海が美しく、ゆったりと時間が流れていきます。
 坂手港から文学館まで約6キロの道のりを、海の景色を眺めながら歩きました。「二十四の瞳」の大石先生が、自転車で通り過ぎるのではないかと思わせるような情景が残っている海沿いの道です。
 まず、「二十四の瞳」の舞台となった、岬の分教場を訪れました。1902年(明治35年)田浦尋常小学校として開校し、1910年から苗羽(のうま)小学校田浦分校となり、1971年(昭和46年)に閉校となりました。映画の舞台となったこと、教育の原点の場と考えられることから、今でも多くの人が訪れています。

 岬の分教場から10分ほど歩いた所に、「二十四の瞳映画村」があります。再映画化された「二十四の瞳」の多くが、ここで撮影されました。撮影時の建物が今も残されています。映画村の一画に壷井栄文学館があります。展示内容の一部を紹介します。
【ふるさとを愛した 壷井栄】
 栄の手書き原稿や愛用品が展示されています。栄は26歳の時に島を出て東京で暮らしますが、作品の多くがふるさと小豆島を舞台として描かれたことが分かります。
【島の娘 岩井栄】
 島で過ごした頃の写真等が展示されています。栄は1899年(明治32年)、小豆郡坂手村で、父岩井藤吉、母アサの五女として生まれます。小学校時代から成績が大変優秀で、級長も務めました。5 年生の頃から家計が苦しくなり、大変な苦労をしますが、どんな時も弱音をはいたりはしませんでした。「典型的ながまん強い島の娘」と説明が加えられていましたが、まさにその通りだと感じました。
【栄文学と映画】
 1952年頃から、栄の作品が立て続けに映画化され、それらの16作品が紹介されています。吉永小百合「明日の花嫁」、上原健・高峰三枝子「柿の木のある家」等、大物俳優が名を連ねています。 1954年、木下恵介監督、高峰三枝子主演「二十四の瞳」の上映、その2年後の全集の刊行をきっかけとして、壷井栄ブームが訪れたそうです。

 栄が執筆活動に入ったのは39歳、本格的に童話を書き始めたのが42歳と、遅咲きといえます。私の不勉強で、栄は童話作家だと思っていましたが、童話の執筆は全体の仕事の2割くらいと考えられます。
○作品の舞台は小豆島が多く、郷土性を大切にしていること。
○作品の題材が自分自身の生活に根ざしていること。
○力強く生きる人、人への温かさを描いていること。
○文章が平易で展開が分かりやすいこと。
といった作品の特徴があります。栄は1967年に67歳で亡くなりますが、「追悼の辞」で佐多稲子は、次のように述べています。
「いつも小豆島を舞台に、けなげに働く人たちを描きつづけ、それは栄さんの立場を示していた。」
 自分自身の生活・考え・行動をそのまま表した等身大の作品を描きつづけたといえるでしょう。

 時代背景は現在とは異なったものもありますが、子どもたちに読んでほしい作品が多くあります。 「ふたごのころちゃん」 「風の子」 「まどから見えるお父さん」 「母のない子と子のない母と」 「峠の一本松」 「石うすの歌」
(さざなみ国語教室同人)