春 に
弓 削 裕 之

 娘が、4年間通った保育園を卒園した。保育士さんのことを「先生」と呼ばせず、名前で呼ばせる園だった。「うちの発表会は、きれいにまとまったものは見せられません、無理強いはせず、子どもたちそれぞれのペースに合わせて育てます。」その言葉に、安心したのを覚えている。楽しみにしていた参観日。しかし、実は「保育参観」ではなく、「保育参加」。その日は親も保育士になり、自分の子以外の園児のお世話もした。どの子も、愛しく思えた。
 卒園証書が渡されるとき、園長さんが、一人ひとりの保育期間を読み上げた。一番長い子で、6年半。その子は式の間、保育士さんの方をずっと見つめて、涙を流しながら言葉を聞いていた。4月から保育園に行かないということが、きっと信じられないだろう。忙しい親を持った子どもたちの、もう1つの家になる。そんな思いでつくられた園だった。
 卒園児担当の保育士さんが、保護者に向けて話されたことが印象的だった。

「1つだけみなさんにお願いしたいことがあります。たった6年しか生きていない子どもたちです。たった6年しか生きていなくて、その割にはいろんなことができてきた子どもたちです。でも、できることが増えてくると、できないことがどんどん分かってきて、辛いです。多分今までより辛い問題が、これから出てくると思います。そんな時に、何かを買ってあげるのも、どこかに出かけてあげるのもいいですけれど、耳と心を傾けてあげてください。それだけ、その1つだけ、お願いします。」

 娘は、今できていることの半分以上を、保育園でできるようになった。いつかの面談の時に、担当の保育士さんが、「保育園では1人でできていたことが、小学校に入ってできなくなることがある」と言っておられた。小学校で働く身として、責任を感じる言葉だった。自分は、「できない」と悩む子どもの話に耳を傾けているか。「できる」を「できない」にしてしまうような教育をしていないか。
 娘が小学校へ入学した。かつて、自分が教員としてお世話になった小学校である。1週間が経ったが、まだ休み時間は1人で遊んでいるらしい。国語の時間に、初めて名前を書いたらしい。

「コスモス(年長)さん、1年間、大人をさせてくれてありがとう。」

 卒園式での、保育士さんの最後の言葉だ。私を教師にしてくれているのは、目の前の子どもたちである。そんな思いに立ち返りながら、今年、卒業児を受け持つ。
 入学式、新1年生の手を引いて、6年生が入場してくる。
 がんばれ、我が子よ。そしてがんばれ、我がクラスの子よ。
(京都女子大附属小)