カタルシス
好 光 幹 雄

 語り部さんから原爆のことを聞く子ども達の中には大きなショックを受ける子がいます。しかし伝えることをしなければ、また暗黒の時代がやって来るかもしれないのです。ですから私の叔父の証言も大切にしなければならないと思っています。

 叔父の証言は中国大陸に派兵されていたときのものです。その蛮行は中国人の記憶から消えることはないのです。それは、丁度、日本が原爆を投下されたのと同じように、今尚中国の人々の心の中に暗い影を落としているのです。

 当時の日本軍の戦いぶりは、たとえ銃弾が尽きても最後の一兵まで突撃することでした。戦いの最後の手段の「万歳突撃」になれば、敵めがけて突進し、銃の先に付けた銃剣で戦わなければなりません。ですから、そんな攻撃の為に、訓練では生身の人間を銃剣で突き刺し、「万歳突撃」をする度胸をつけておく必要があったのです。

 そして、叔父は、言いました。訓練とはいえ、なんて残酷なことをしたものかと。何の罪もない中国人を捕まえてきては、軍事訓練をしていたと言うのです。それは生きた中国人を柱にくくり付けることから始まりました。そして、指揮官から整列という号令が飛ぶと、兵士はその柱の前に一列に整列しました。しかし、生身の人間を銃剣で刺す度胸がない兵士は、自然と列の最後の方に並ぶのだそうです。そんな兵士の心理を逆手に取るように、整列が終わると、指揮官は回れ右を命じ、最後尾の兵士から先頭になって生身の人間を銃剣で突き刺すように命令したのでした。

 そんな時でも、中国人は大したものだと叔父が言いました。柱にくくり付けられた中国人に、せめて目隠しをするか?と聞くと、要らないと言ったのだそうです。最後まで日本軍のこの非道な蛮行をにらみつけてやろうとしたのかも知れません。こうして、人を刺したこともない新米の兵士達が次々と狂ったように絶叫しながら中国人を刺したのでした。順番が来て叔父が刺す頃には、中国人の息は既に絶えていたと言います。それでも、生身の人間に銃剣を突き刺すことは、兵士たちにとって残酷で卑怯な訓練以外の何物でもなかったのです。こんな訓練が日常茶飯事に行われ、日本兵は、血の通う人間から、本能的に人を突き刺す殺人兵器として生まれ変わらされたのです。

 しかし、そんな非道な命令に従って訓練をしていた叔父たちの心中は、戦後何十年経っても癒されるものではなかったのです。叔父は証言することで、死ぬまで癒やされはしない苦しい思いに少しでもカタルシスがしたかったのだと思います。私がこんなことを書く気になったのも、もしも私が叔父と同じような立場なら、私も同じことをしていたであろうということなのです。戦争は、そうやって穏やかな人を鬼畜に変え、良心を深く傷つけ奪います。ですから、そうやって訓練をして戦争を生き抜いてきた兵士たちも、実は戦争の重大な犠牲者なのです。叔父はもうそれ以上のことを語りはしませんでした。しかし私にはこの証言だけで十分でした。そして、私にもカタルシスが必要だったのです。
(大津市立小野小)