巻頭言
震災によせて
小 瀧 真 里
 東日本大震災の発生から5年、再び大地震の恐怖が日本を襲った。震度7の激震に連続して遭遇した熊本地方の混乱が報道されるたび心がざわついた。東日本がそうであったように、犠牲になった多くの命や残された人々の痛みや苦しみが胸の奥に流れ込んできた。

 私が勤務する学校は小中一貫教育校として平成25年に設立された新しい学校だ。開校以来、9年生(中学3年生)は被災地である東北を修学旅行で訪れ、苦しみのどん底から立ち上がる人々の強さや支え合って生きるつながりの大切さなど、多くを被災された人々から学んでいる。これらのプログラムを「震災学習」と名付け、教育課程に位置づけている。これにより、自分の生き方さえ変えた卒業生もいる。そんな子どもたちは熊本地震発生の直後、すぐに支援活動を開始した。6月には、子どもたちがアルミ缶回収でかき集めてくれた10万円と心のこもったメッセージを私の手で直接、熊本まで届けに行った。この日本に起こっていることを自分の目で確かめ、子どもたちにしっかり伝えたいと考えたからだ。津波で跡形もなく流された「東日本」と違い、内陸型の地震は局地的な激しい被害が特徴的であった。最も被害のひどかった益城町は壊滅的な状況だった。無残に崩れ落ちた家屋が、手付かずの状態で放置されていた。

 学校にもどり、被災地の様子をスライドにまとめて全校児童生徒に伝えた。その後、中学生を一堂に集め、「ボランティアは何のためにするのか考える」というテーマで道徳の授業をした。互いの考えを伝え合う中で、子どもたちから様々な発言が飛び出した。
「人のための行為だと思っていたが、自分自身も人を助けることで達成感や満足感を得ることができるのでボランティアは自分のためでもある」
「ボランティアはする方もされる方も両方幸せになれる」
「自分自身が成長するためにボランティア活動をする」
「ボランティア活動に理由はいらない。結果として人のためや自分のためになる」等々、多くの子どもが自分の考えを持ち、伝え合いながら、考えを変えたり、深めたり、広げたり、育ち合ったりする姿があった。子どもたちから発せられる多様な価値観に刺激され、私自身が自分の価値観と向き合う時間でもあった。

 人知を超えた災害に対峙し、教育者として生きる私の使命は何かと問うた時、自分自身が出した答えがこれである。子どもに真実を教え、自分にできることを考えさせる。人と人が支え合いつながり合いながら社会をつくる大切さを教える。他者の痛みや苦しみが分かる人を育てる。やっぱり私ができることはこれ以上でもこれ以下でもないのだ。
(福知山市立夜久野小学校、夜久野中学校校長)