巻頭言
言葉を学ぶこと
加 藤 哲 郎
 私事ですが先週、第3子が産まれました。芸能ニュースで2世タレントの不祥事が問題になる昨今、「子育てに正解はない」等と言われますが、初任者が様々な経験を積んで教師として成長していくのと同じように、新米パパも3人目ともなると、ある程度見通しを持って子育てができます。(それでもうまくいく保証がないのが子育ての難しさですが)

 さて、我が家の3人の子どもたちを見ていると、幼児期の言語の獲得過程が分かります。特に5歳の長男は本が好きで、わからない言葉をすぐに私に質問してきます。しかし子どもに説明したくても、わかりやすく伝えられない言葉に出合うことがあります。抽象的思考を伴う何とも説明しにくい言葉です。こういうときに親として答えを曖昧にはぐらかすのは良くないと聞くので、一生懸命に5歳児にわかるように説明しています。どちらの言語能力を育てているのかわかりません。すると、子どもは優しいので一応納得したようなふりをしてくれます。(たぶんわかっていません)しかし、一方で「その言葉どこで覚えたの」と驚くような言葉を使うこともあります。子どもの言葉に対する探求心は、本来人間が持っている「知らないことを知る」喜びを思い出させてくれます。言葉に触れることで、言葉に疑問を持つ。言葉を知りたくなる。言葉を使いたくなる。その意味では、言葉そのものの意味を伝えると同時に、使い方を教えることの重要性。使っているうちに、言葉の持つ概念を理解するという過程を見ます。「言葉に思考が追い付いてくる」状態です。

 そこで先日の第79回国語教育全国大会で吉永先生にご指導いただいたことを思い出しました。「話し合い」に関する提案だったのですが、そこで吉永先生は「話し合いにおける日常語」を教えることの重要性を仰っていました。その場では話し合いに関してのご指導だけでしたが、恐らく読むときも、書くときも、言葉そのものがヒントとなり、言葉が思考を助けることもあるかと思います。目的に応じた語彙力を育てることは、課題解決の一番の近道なのではないでしょうか。国語教育における「言葉の教育」をもう一度見直したいと私は思います。アクティブ・ラーニングの肝も案外そんなところにあるのかもしれません。
(埼玉県三芳町立三芳小学校)