巻頭言
秘密の玉手箱
若 山 義 和
 好光先生との出会いから突然原稿依頼が入ってきました。歳をとってしまった今も、何でも興味を持つ私です。お話を聞いて二つ返事で安請け合いをしてしまいました。先生方に元気の出る話を提供して欲しいとの事でした。元来、勉強が大嫌いな私です。すこし古い話を思い起こしてみました。

 小学校教育について昔は親としての子育てから始まり、陶芸指導として県内の幼小中の教育現場に入れていただきました。今はじいちゃんとして、三歳・小学一年生・中学一年生・中学二年生の四人との付き合いです。これもまた時代が変わったのか、どうもかみ合いません。私は陶芸でしかお話しが出来ませんので自分なりの思いを綴りたいと思います。

 初めての出会いではいつも緊張します。自分が求めようと求めないとに関わらず始まるからです。そんな時、相手の心にとびこむにはインパクトと持続が大事かと思います。外孫内孫かかわらず自身の存在感が与える影響を気にします。言えばなめられたらアカンとつい虚勢を張ってしまします。

 陶芸においては指導の折、職人としての手際の良さは当然であり、プロとして技を見せ付ける心構えで挑みます。とっても難しいことをさらっとやってみせることです。子供たちの輪の中で、まるでマジックのように作品を造り仕上げます。子供たちから拍手喝采をもらいます。当然計算済みです。もう心は一つ、同じ目的に向かっています。これが感動のプレゼントです。私にも出来ると思ってくれるのです。とってもシンプルに造り方を教えた結果です。私も出来ると思った子供たちの思いは実現するのです。鼻歌を歌いながら粘土に取り組む子がたまにいます。きっと楽しいのですね。ですから、いつも新しい感動を与える準備ができているかと思うことがあります。初めての体感を子供たちは待っているからです。それがその人の魅力だと度々思います。

 思い起こせば、六〇年経っても忘れられない事があります。小学校五年生の恩師の思い出が蘇りました。初めて料理包丁を持ちドキドキした家庭科の時間でした。林檎の皮を剥きスライスしました。バターを厚切りにして食パンに挟みました。このサンドイッチを食べたときの感動は忘れられません。この先生これだけではありません。

 秋にみんなで収穫したサツマイモの蒸かし方を教えくれました。みんなに直ぐに食べさせてくれると期待していましたが、言われるままに蒸かしたサツマイモの上に何やら粉末をかけさせられました。ジアスターゼという消化剤らしいです。混ぜて程よいころに日本手ぬぐいで絞り込みました。出てきた液体が芋飴と化す不思議さを教えられました。その芋飴を食べたときの感動の思いではクラスメートの共有財産だったでしょう。私の性格は興味のあることはどんどんやる子供でした。輪をかけて家に帰り祖母にねだって近所の薬局へジアスターゼを買いに、再現と感動への挑戦をしたのです。家庭科の時間からサツマイモイモ作りの生物の時間になり、やがて消化酵素と物の組み合わせになり科学の時間になりました。

 先生って凄いなあ!秘密の玉手箱だと思いました。
(唐橋焼窯元)