[特別寄稿]
赤い「線」「◎」「文字」
仲 谷 文 夫

 「公務員はいいよ。せっかく入学できたんやから。兄弟の中で一人くらいは先生がいるのもいい。」働き盛りの父は、「大学卒業後、先生になりたくない!」という自分にそれとなく言ったものである。
 小さな村で小売店を営むとともに、田植えや草取りや稲刈りを行い、季節労働者として些少の賃金を稼いでいた。家は貧乏であった。
 大学の教育学部では、四回生になると教育実習がある。たまたま、附属小に行くことになった。五週間である。先生になろうか否かを悩んでいた自分はあまり乗り気でなく、校門をくぐることになる。

 手元にある大学ノート。その表紙は茶色に変色している。四十年前の『実習録』である。
 これはそんな自分を教職の出発点に立たせてくれたものである。つまり、「教師になれるかもしれないね」と後押ししてくれたものである。人生の転換期の応援者である。また、これは私の教職三十七年間を支えてくれた宝物である。悩んだとき、これを開き、その中を見ると、今の自分が何をすればよいのかのヒントをくれたものである。
 「えっ、そんなものまだ持ってるの?ふーん。」と周囲の者は驚愕の声を上げると共に冷やかな目を向けるのも常である。
 一ページ目には、「六月九日今日は真夏かと思えるほど暑い日でした。実習最初の日で幾分緊張気味です。最初の日とか、初めての場所とかはなかなか自分のいる場所を探すのに苦労するものですが、ご多分に漏れず自分も今日はなかなか不安定な状態でした。」とても自信のない自分がそこにいる。
 それに対して、吉永幸司教官から「教育実習は教育の練習でなく、一日一日が子どもの成長とかかわって成立していきます。」「五週間の間に子どもが大好きになれたら大成功でしょう。」「子どもたちは先生の全てを見ています。」という私の心を見透かしたような返事が返ってきた。
 こんな頼りない自分が我知らず変わっていくのである。
 それが『実習録』の魔法なのである。
 開けてビックリした。ノートが真っ赤になっていたのである。赤赤赤の「文字」や「線」や「◎」で埋め尽くされていた。
 例えば、「授業とは子どもの可能性を伸ばすもの」「先生は子どもの純なもの、真剣なものに感動する目を持ちたいものです」と赤字で指導されている。一方、「子どもをよく見てその生活環境全部を把握して子どもに接するようにしなければならない」の私の箇所には赤色の「◎」と「線」で、先生の大事にしなさいというメッセージが込められている。この三つは、教師となってから常に念頭に置いていたモットーの源になったものである。

 「教師」として「やっていけるかも」と自信が芽生え始めたのは、次の赤字からである。
 「今週は研究授業もあり、先週一週間かけての指導案作りご苦労様でした。授業をしておられる先生の顔と目はすごく真剣です。顔を見ないで声と子どもの動きだけを見ていると顔での真剣さが十分伝わってきません。不思議な人ですね。」
 授業の中で、私の声と子どもの動きだけを見ているといい加減にしている雰囲気があるが、顔と目は真剣である。顔と目の真剣さが子どもの動きに伝播していない。その落差が不思議であるというのである。しかし、これは、発問・指示の的確さがない指導技術の未熟さからなんですよ。これからの研究課題ですよ。でも、一番大切な真剣な目が身に付いていますよ。そう指摘されていると感じた。
 当時を振り返り先生は「あんたの授業は元気やったね。」と必ずくすくす思い出し笑いをされる。  その数日後の先生のコメントは次のようになっていた。
 「子どものがんばりを鋭く見つめる目はとても大切なことですね。ご立派です。」教師というのは子どものがんばりを鋭く見つめる目をまずは持つことであることに気づかされ、それはできているのだと確信がもてた。

 実習最後のコメントである。
 「教育とは何かと言うことを大学で随分学んでこられたことと思いますが、自分を生かした実習をなされたこと貴重だと思います。」
 最初のやる気のない自分から子どものがんばりを真剣に見られるようになり、自分を生かす実習に変容してきたようである。
 最後の二ページに子どもの文字で「ガンバッテネ!」という言葉とウサギや猫や自分の似顔絵が鉛筆で書き込んである。
 先生は小学校の管理職を経て、大学の教授にまでなられた。実習終了後も現在まで多くのご教示を賜っている。
 ある新任の先生が「教師として一番大切なことは何ですか?」と私に真剣な眼差しで質問をされたことがある。次のように即答した。
「子どもが好きですか?」
「大好きです。」
「それで十分です。頑張ってください」
 彼女は立派な先生として現在活躍中である。この言葉もあの宝物の最初に載っている。
(前湖南市立三雲小学校長)