スイミー 教材研究の試み(2)
好 光 幹 雄

「どうしてスイミーだけ食べられなかったの。」「どうして、悲しくて怖いのに、暗い海の底に逃げたの。」「どうして大きな魚のふりして泳ぐことを思いついたの。」
 こんな素直な疑問に答える授業がしたいと思います。

 ところで、物語の構成の基本は、「初め・中・終わり」。ですから先ずそれを押さえる。場面の移り変わりもしっかり押さえる。これらは基本です。これらを押さえつつ、先のような作品の主題にも関わるような重要な疑問を取り上げたいのです。
 すると、黒いスイミーは目立たなかったから食べられなかったのかも。自分と同じ色の暗い海の底の方が、マグロに見つかり難いから底へ逃げたのかも知れません。ここまでは想像の域を出ません。

 しかし、どうして大きな魚のふりをして泳いだのか。実は海の底での体験が、この疑問の核心に迫ります。@虹色のゼリーのようなくらげ。A水中ブルドーザーのみたいな伊勢えび。B見たこともない魚たち、見えない糸で引っ張られている(みたい)。Cドロップみたいな岩から生えている昆布やわかめの林。Dうなぎ、顔を見る頃にはし っぽを忘れてる程長い。E風にゆれる桃色の椰子の木みたいないそぎんちゃく。これらがスイミーを元気付けたのは事実なのです。
 しかし、カーニバルのように一気にスイミーの前に姿を現したのではありません。原本では、一つずつ見開き二ページ、計十二ページに渡って展開されるのです。つまり、時間の経過があるのです。尤もページ数を制限されている教科書では二ページだけでその全てが書かれています。ですから、教科書の記述に準じて、この部分をまるで一つの場面のようにして指導しても不思議ではありません。

 しかし、それでは時間の経過と共に海の底の素晴らしい体験が積み重ねられたことや、スイミーの心が徐々に癒やされ元気を取り戻していった過程が分かりません。やはり、ここは一つずつ、六つの場面として読みたいのです。そして、六つの場面に共通していることは、生き物を《〜みたいに》という直喩的に見ていることなのです。実際はそうではないが、それみたいに見えるということをスイミーは学んだのです。だからこそ、うんと考えたときに「一番大きな魚のふりして」と考えたのです。みんなが持ち場を守って泳げば、「そのように見える」はずだと考えたのです。スイミーは英雄でも何でもありません。スイミーの《〜みたいに》の発想は、既に海の底の体験に布石として散りばめられていたのです。そう考えれば疑問も解けます。だからこそスイミーに同化し追体験的に読む読者は、スイミーの考えを自然に受け入れて読めるのでしょう。拙いながら表現方法が主題に大きく関わる事が分かる教材研究ができました。
(大津市立小野小)