巻頭言
ことばの力を信じる幼児教育
佐々木 晃
 夏休みに大津市で幼児教育ゼミナールがあり、小野小学校の好光幹雄先生とお会いする幸運に恵まれました。小学校の先生方が幼児教育の研修会へ積極的に参加されていることにも感激しましたが、小学校での学級作りの実践発表に大いに学ぶ意義深い研修でした。そのようなご縁があって、400号をこえる伝統ある御誌に寄稿させていただく次第です。

 さて、私は幼稚園に勤務しています。「国語」以前の乳幼児期の言葉の世界は、素朴にして本質的です。とても興味深く、長年その虜となっています。
 哲学者のラカンが「エクリ」の中で述べていることは、私の言葉の指導の原点となっています。「母親の胎内において胎児は、スープが溶け合うような幸福な一体感のうちに過ごしている。それが、この世に誕生し、自我が目覚め、認知が発達し始めると、甘美な一体感から覚める。自分が母親とは別の存在であることを知り、喪失感を覚える。認知的発達に伴う言葉の獲得とはうらはらに、幼児は母親の喪失感を埋めるために『まま、まま』とその存在の名を呼び続ける」。私はラカンの洞察に共感できます。私たち大人も、優しい言葉で心の傷を癒されます。故人とさえ残してくれた言葉を手がかりにつながり、喪失感を埋めることができるからです。

 さらに幼児たちは不思議です。母親の表情や髪型、服装など、目に映る知覚像は変化しても、母親として反応できます。つまり、変化するそれらをひとつのもの、同じものと認める認識の枠組み(世界観)ができているのです。言葉に意味を与えるとは、一回ごとに異なる経験を定着させ、関係づけ、まとめ上げる認識の仕組みを手に入れることに他なりません。幼児たちはこのように言葉を手に入れ、活用しながら認識を広げ世界を自分の内に築いていきます。
 「まま」と呼ぶと応えてくれる。今しているすべてを傍らに置いて、「どうしたの?」と関心を向けてくれる。このような幸福な体験の中で、幼児は言葉に宿る力を知ります。
 「おおきくなあれ」と種に土をかぶせている子。カブトムシの死骸に祈る子。幼児期特有の呪術的世界やアニミズム的思考と表現してしまうには、あまりにも真剣なその姿に、「言葉の力を信じる」力を感じないではいられません。

 幼小の教員が連携して、子どもを育てようという好光先生とのお約束を守りたいという一念で書かせていただきました。不勉強をお詫びして、会員の先生方に幼児共共ご指導を賜りたいです。
(鳴門教育大学附属幼稚園園長)