スイミー 教材研究の試み(1)
好 光 幹 雄

 「あさのつめたいみずのなかを、ひるのかがやくひかりのなかを、みんなはおよぎ、おおきな さかなをおいだした。」
 『スイミー』の最後の文です。初め私は教科書の谷川俊太郎訳を別段何の違和感もなく受け入れていました。でも、授業を進めていき、この最後の場面を想像したとき、私の想像は絵本の原画とは違っていたことに気付きました。絵本の原画では、追い出された魚のしっぽは一つではなく、二つ描かれていたからです。つまり、スイミー達を苦しめ恐怖のどん底に突き落としていたのは、たった一匹の大きな魚ではなかったのです。一匹なら、誰かが見張り役をして仲間はある程度自由に安心して泳げたかも知れません。しかし、複数の魚がいたのです。だから、どこから襲ってくるかも知れない恐怖と不安に小さな魚たちは苦しんでいたのです。

 今、私は小さな魚たちと言いましたが、赤い小さな魚たちが複数なのは一度読めば分かります。谷川訳もred fishを「あかいさかなたち」と訳しています。しかし、大きな魚は、大きな魚たちとは訳されてはいないのです。英語の fishには複数形がありません。単数なら、a fishですが、複数の意味なら、fishだけでもいいのです。谷川訳ではこの点が不明瞭です。このことは、言語活動をする上で大きな問題となる場合があります。例えば、ペープサートの場合。スイミー達が大きな魚になって、今まで自分たちを追い回していた大きな魚を今度は逆に追い回し追い出すことになります。その際、大きな魚は一匹でよいのか、二匹以上いるのかということです。一匹ならば、僅かの力の差で追いだすこともできますが、複数の大きな魚を追い出すのなら、ものすごく大きな魚になって歴然とした力の差を見せつけなければなりません。だから、「うみでいちばんおおきなさかな biggest fish のふりして」の必然性があるのです。そしてスイミー達はそれをやってのけたのです。

 ペープサートでは、何をどのように動かすのかということも重要です。そのためにはこのように大きな魚が何匹いるのか、その大きな魚とスイミーたちの演じた大きな魚とはどのように違うのかといったことも確かめておくことが大切です。それには、時として教科書と絵本を比較したり、参考にしたりして読むことも必要です。一枚の原画を見た瞬間、謎が解け、想像が広がり、豊かな演技が出来ることもあるのです。
 「言語活動の充実」は勿論重要ですが、それにはそれなりの言語活動を支えるねらいに即した教材研究が不可欠です。私が此所に示した「スイミー」の教材研究はその一例に過ぎません。
 このように、場合によっては、絵本の原本にあたり、原画と外国語の文を知り、また日本語訳も確かめること。そんな教材研究の試みが、授業を、そして子どもの学びを左右するのだと思うのです。

 そのような教材研究の結果、私なら次のように訳を補足します。
 「あさのつめたいみずのなかを、ひるのかがやくひかりのなかを、みんなはおよぎ、おおきな さかなたちをおいだした。」
【参考文献】
 @『国語二上たんぽぽ』光村図書 平成二七年度版
 A『スイミー』レオ・レオ二作  谷川俊太郎訳 1969年 好学社
 B “Swimmy” by Leo Lionni 1968  Pantheon Books NewYork
(大津市立小野小)