[特別寄稿] 「新しい国語の授業」研究会
五七五に想いを込める
野 口 香 織

 国語教育について考え始めて三か月が経ちました。前期のゼミ活動で私たちは、只管国語の論文を書き写して、その要約をするという作業を毎週1回してきました。その活動をする中で、様々な国語の授業への考え方があることを知り、時には本当にこの考えは良いのだろうかと批判的に読むこともありました。そして、今回「東風の会」で知り合った好光先生からこの国語研究会へお招き頂き、実際に現場で働く先生方や、宇多先生の貴重な御講演をお聞かせ頂きました。先ず、このような機会を私たちに下さいました方々に深くお礼申し上げます。本当に、刺激的な研究会で、私たちも更に国語の授業作りについて深めたいと考えるようになりました。

 今回の研究会で、一番印象に残っていることは、現場の先生方の中で、句会をさせていただいたことです。人生で初めて句会を体験して、本当にこの国語研究会に参加できて良かったと思いました。開票のときは子どもになったような気持ちでやはりどきどきしていました。一票でも票が入ると嬉しいものですね。これが子どもだともっと嬉しいことだと感じました。この句会は本当に楽しく価値のあるものだと体験を通じて感じました。また、俳句の難しさと共に、俳句の素晴らしさを改めて実感することができました。たった五・七・五の十七文字に想いを込めるのはとても難しいです。でも、反対に十七文字だからこそ伝わる想いもあるということを身をもって体験することができました。

 私が小学生の頃は、俳句の授業はさらっとしか触れられなかったのであまり印象に残っていません。好光先生の実践のように、俳句の題材を外に探しに行くというような活動をしてみたかったと思います。私は鳥取の大山の出身ですが、その大自然を生かしきれていないことに今更ながら残念に思いましたので、私が将来教師になったときには、俳句をいつまでも覚えている授業作りをしていきたいです。

 最後に、吉永先生の気になる子どもに目を向ける定点観察がこれからの教育には重視されるべきだという考えに納得しました。また国語の授業の目的は「作品を好きになること」であり、どの子にもできるユニバーサルな授業が求められています。それは、分からない子、できる子に目を向けることだとばかり思っていましたが、そうではなく、その真ん中にいる子は授業を楽しめたのかといことにも注目していくことが大切だということが分かりました。十月の教育実習を控え、その学校ではどのような教育がされているのかを見ることと、国語の授業を任された際には、兎に角子どもをほめるということを心がけて、更に子どもたちからも学んでいきたいと思います。
(神戸親和女子大学)