[特別寄稿] 「新しい国語の授業」研究会
俳句と私 〜模擬授業での感想より〜
北 木 もとこ

 はじめまして、私は、25年ほど前に小学校3年生から6年生までの4年間、好光先生に、教えて頂いていた、北木もとこと申します。私が、このお話(研究会で俳句学習について話すこと)を、頂いたときは、正直俳句に4年間も自分が携わってたことを、すっかり忘れていまして、「え、やったっけな〜」と言う感じでした。俳句〜俳句〜、と思い返えそうとする中、パッと自分の携帯を見ると、今、コミュニケーションツールであるラインって、ありますよね。そこに、最近のことを、つぶやく所があるんですが、そこに、俳句を呟いてたんですね。自分でも、意識しないところで、俳句を使っていて、「え、わたし、俳句書いてるわ」と、驚いたんですが、なんで俳句が、私の生活の中にあったのかと、昔の記憶を辿ると、好光先生に、俳句を教わったところにたどり着きました。

 当時、授業の中ではまず、季語というものを教わって、それから、五七五の音を、教わって、私は子供ながらに、まず、何か楽しそうと、ワクワクした気持ちもったことを、思い出しました。
 お家に帰って、俳句をいくつか作るんですが、とっても、目と、耳を澄ませた感覚を覚えています。それは、今の大人の私とは違う感覚の見方で、より細かいところ、より繊細なところに、目を凝らせ、俳句の材料探しをしていました。そして、目で拾ったもの、耳で拾ったものを、頭のなかで五七五に組み立てるんですが、それがとっても、難しいんですね。何度も何度も考えて、何度も組み立てて、子供だから、素直に真面目に沢山考えて、自分なりに渾身の俳句を作ってもっていきました。
 先生、凄いでしょ、誉めて、誉めて。と言わんばかりでしたが、みんな、同じ気持ちで、挑んでくるので、誰の俳句が、良いいなと思うかの投票会では、すごくドキドキした感覚を思い出しました。ドキドキは、絶対わたしのが、一番という期待のドキドキです。でも、みんな、そう思ってるので、みんなドキドキしていました。

 そのような感じで当時のわたしは、上手いも下手も関係なくただ、俳句を楽しんでいたと思います。楽しかったです。
 今は、英語の先生を、始めたところですが、英語を教える上で日本語の素敵なところを沢山見つけることができます。これからの子供たちも、俳句を、学んで楽しんでほしいなぁと思います。