巻頭言
宮 古 島 よ り
平 良  優
「満月や にわか仕立ての 獅子の舞」
 沖縄の離島、宮古島の子ども達は、「中秋の名月」旧暦8月15日の夜「十五夜」に、仲間たちと手作りの獅子舞(シーサー)をもって、無病息災や家庭円満を祈願しながら各家庭をまわります。そして、歌や踊りを披露して、お小遣いやおかしをもらいます。この行事を「シーサーガゥガウ」と呼びます。宮古島では、この伝統が今もなお受け継がれています。

 次の短歌は、小学6年生の短歌です。
「空の青 海のあおさに よいひたり 心静まる 我が宮古島」
「たのしみは 学校が終わり おかえりと 家族みんなの 声を聞くとき」
 子どもたちの、ふるさとや家族をこよなく愛する思いが伝わってきます。短歌の創作活動をすると、子どもたちの心の優しさや豊かさに、いたく心を打たれます。

 さて、短歌の創作における思考力とは、何を指すのでしょうか。
 わたしは、知力よりも徳力であるように感じています。心情力とでも申しましょうか、すなわち「心の豊かさ」です。それは、人それぞれの豊かな感性や、心からこみ上げてくる感動を基にして、短歌を創作するからです。もちろん、論理的に言葉を組み立てていくのですが…。

 最近の国語科の学力というと、日本の国語教育が大切にしてきた「心」の部分が希薄になっているような感を受けます。不易流行の不易に焦点を当て、伝統的な言語文化の授業をより大切にしていくことが、今の子どもたちに求められているように思うのです。
 これらの学びは、子どもたちに知的で優雅な日本語の美しさを感じさせ、豊かな心を育むことにつながります。そして、この教育こそ、子ども達の豊かな人生へと繋がると信じるのです。

 今一度、日本の国語教育のよさをふり返り、国語科に携わる同士として「心を豊かにする」という視点から、つとめを果たしていこうではありませんか。
(沖縄県宮古島市立南小学校教諭)