▼「慣れる」ことのこわさを感じることがあります。今から数十年前の若い頃です。俳句の勉強会に誘われました。毎月の例会(句会)は、あらかじめ投句しておくことが約束。例会に参加することも会員としては当然の義務。俳句結社の句誌には、誌上句会があり、投句し同人や会員から平等に選を受ける機会もありました。毎月、7句から10句作る仕組みになっていました。

▼入会した頃は、約束を守ることが義務と思っていました。月例会や誌上句会に出席し、投句を続けてきました。ところが、ある時、投稿を忘れてしまったのです。最初は、後悔の気持ちが大きかったのです。が、回を重ねるうちに投句しないことに慣れてしまいました。そうなると、ひと月、ふたつ月はどころか、1年、2年はあっという間です。(今でも、月例句会は出席ができないままです)

▼何かやろう、学ぼうと決めた時の勢いが続くのは、努力というより「慣れ」に溺れないことでしょうか。学級通信を在職中書き続けたり、実践記録という名の冊子を発行し続けたのは、「慣れ」になじまないようしたからです。一度「止める」と復活は無理ということを体験的に学んできました。「続ける」と確実に成果があります。

▼「さざなみ国語教室」も400回を超えた今、あらためて「慣れ」を見直したいと思っています。

▼巻頭には、平良優先生から玉稿を頂きました。深謝。(吉永幸司)