もう一つの卒業式
伊 庭 郁 夫

 3月19日、43名の卒業生の中に、A児の姿がなかった。体調を崩し、欠席するという連絡であった。担任が家庭訪問したが、出席は無理とのことである。卒業式では、私は電車の好きなA児のことを念頭に、梅小路機関車庫のことに触れてありA児が好きだったB先生の祝電を披露した。
 やむなく翌20日にA児の卒業式を校長室ですることにした。

 3月20日、校長室の机や椅子を出し、花を飾り、式次第を用意して卒業式の準備が整いつつあった。1本の電話が入った。
「A君の卒業式があると聞いたのですが、行ってもいいですか。」
「勿論、いいです。気をつけて来てください。」
「はい。ただ、このことはA君には内緒にしてください。」
「わかりました。」

 卒業式にまだ時間があるというのに、職員室前が騒々しくなっきた。昨日卒業した6年生が1人、また1人と集まってくる。ざっと10人を超えている。校長室には入り切れないと判断し、急遽オープンスペースに式場を移動することにした。先生方は、式服に着替え、思い出のシーンの詰まった映像も大型テレビに映し出せる準備が整った。続々とやって来る卒業生に椅子が足りないくらいである。同じ通学班の在校生も加わった。弟のC君もいる。何と保護者も数名来られている。卒業生は、軽く30名は超えた。職員も大勢参列している。何と、低学年の担任だったB先生の姿がある。「自分たちの卒業式には来てくれなかったのに」という、卒業生の声。それもそのはず、昨日はどこともに市内は卒業式であった。

A児の入場。担任、母と祖母も迎える。歌、卒業証書授与、学校長の式辞、B先生のお祝いの言葉と続く。私は、今日参加した卒業生も意識して、1年生担任の少し長い祝電を披露した。圧巻は「別れの言葉」である。多くの卒業生と在校生の参加のお陰で、本番と同じ呼びかけが展開される。テレビドラマを見ているようだ。
A児の祖母は、A君が寂しい思いをしないようにと思い、大阪から駆けつけてくださったそうだ。まさか、A児のために大勢が来てくれているとは思いもよらなかったという。弟のC君は「遊びに行ってくる」と行って家を出、兄の卒業式に参列している。
「世界一心の温かい木戸小学校を築いていこう」という本校の思いが具現化されたように感じた。
 翌日、母親から心のこもった礼状が届いた。
(大津市立木戸小)