【倉沢栄吉先生追悼】
「真の楽しみ」考
廣 瀬 久 忠

 倉澤先生が百三歳の長寿を全うされ永眠された。明治のお生まれで、穏やかな居ずまいは三十五年前、新採の私の「国語の先生」像のカリスマであった。
 さざなみ国語教室にも近江の子ども研究会にもおこしいただいた。学会や大きな研修会でご講話いただく機会にも恵まれた。言葉を選んで、ゆっくりとお話をなさる印象と時に流れるように言葉が溢れいずる印象が重なる。若輩の私には真摯に学び続ければことばにかかわる生業を極めていけるかも知れないという淡い憧憬があったのを今でも思い出す。

 本誌二百号巻頭言「真の楽しみ」(平成十年十一月)に次の玉稿の部分がある。節目節目の玉言はマイルストーンの如き重みがある。


 子どもは楽しがり屋である。最近、どこの教室を訪ねても、子どもたちは明るい。よく笑う。屈託がない。が、少し度を過ごして、フザケているようでもある。学習材に直面し、学習材と戦って、悩み迷い困っているときの「真剣な」「思いつめた」表情を、見ることが少なくなった。
 楽しいばかりが良いのではあるまい。楽しがって得をしたということと並んで、否それ以上に「楽しくなくて得になる」ことも必要なのではないか。  真の楽しみは?難問である。

 ずっと気にかけ続けていたことである。どこの授業研究会へ行っても発言を繰り返してきた。
 指導する先生が必死の形相で学習すべき子どもが余裕の態度でいいのかと考え続けてきた。
 子どもにとって今日の学習はどんなことが学べるのか。どんなことができるようになるのか。どんな学ぶ楽しさを味わえるのかとドキドキする教室であってほしい。
 子どもが時間とのたたかいで追い込まれ、切磋琢磨し、感化し合う教室であってほしい。
 ことばの学び手としてのプライドを背筋を伸ばして語る子どもの集う教室であってほしい。
 知的好奇心が学ぶ集団の牽引力となるような教室であってほしい。
 その時の先生は、包容力逞しく余裕の笑顔で、時に真剣に熱く語り、厳しく学ばせ、時間いっぱいをフル回転させる指導者であってほしい。

 同二百号拙稿「五分間話そう」のまとめで次のように書いている。


 子どもたちが私の問いかけをどれほど意識しているか定かではない。ただ、これから始まる三十時間に対する期待とときめきの溢れんばかりの瞬間を逃すことはあまりにももったいない。
 家へ帰って五分間話すことはたやすいことではないだろう。心配しながら待っていてくれた家族が聞き手である。体験したことを自分の言葉で話すことの難しさと話すことによって改めて分かる自分の考え方を自覚する場が乗船した子ども一人ひとりの家庭に生まれていることを願っている。

 時間とことば。そのどちらにも「真剣さ」が生命線である。
(湖南市立菩提寺小)