「相手意識」の大切さ
森  邦 博

 2年生の授業。おもちゃの作り方を分かりやすく書き表す学習の場面を参観した。
 授業の始めに先生が、
「前の時間にみんなで見つけた説明のこつを思い出して発表しましょう。」
と発問して導入された。
 答えは黄緑色の短冊に書いて用意してある。子どもたちは、次々に発表。どの発表の文末も「〜です。どうですか」。聞いている子どもたちも「いいでーす」と、お決まりのパターンが4回続き、4つのこつが発表され4枚の短冊が黒板に貼られた。

 「では、この4つのことに気をつけて、今日は昨日の続きを書きます。」
 前の時間の学習活動の繰り返しである。子どもたちに活動への抵抗感は少ないように見えた。子どもたちはすぐに、自分の説明するおもちゃの作り方の続きを書き始める。その姿が大変熱心なのである。遊んでいる子が目立たない。先生が机間を回っているからなのか。参観者が多いからなのか。などと感想を持ちながら見ていたのだった。

 10分が経過して、先生が作業を止めて「同じおもちゃの人とグループになって、グループで説明文を作ります」と活動を指示。同じおもちゃの説明を書いている子どもたちがペアになる。そして2人で相談し始めた。
 あるグループでは、
「お箸『1膳』を使ってと書いても、わからないやろ。『1本』でいいかな。」
と相談している。また他のグループでは、
「卵パックを『とじる』と『しめる』、どっちがよく分かるかなあ。」
と適切な語句を選ぶ相談である。また、
「ガムテープを2.6センチと言っても分かるかなあ。ゆびくらいの方がいいかな。」
と、どれも「分かりやすく説明する」ことに真剣な様子が観察できたのだった。

 それは、この子たちが「1年生に分かるような説明文を書き表すことに集中しているからなのだということに気がついた。「これで分かるかなあ」とは、「1年生の○○ちゃんに分かるかなあ」と言うこと。大変具体的な読み手を思い浮かべて学習活動を進めているからなのだろう。
 分かりやすい文章を書くことは作文指導の基本中の基本である。このことを「1年生が読んで分かるように」と、読み手をはっきりと意識して、「私のめあて」として捉え直している。
 書くことの活動の指導上の留意点である「相手意識」の大切さを改めて子どもから教えられた。
(滋賀県教育会)