文章を正しく読む  「ウナギのなぞを追って」
吉 永 幸 司

1.「今年もマリアナの海にやってきました。」
 教材「ウナギのなぞを追って」(塚本勝巳・光村4年上)は始まる。題名から、「ウナギのなぞ」って何だろうと思いながら、文章を読むと、「今年も」に出会うので、ウナギの研究に関する文だという予想がつく。しかし、このように読んでいくと、なるほどそうか、凄いというような話題に関する興味のみ突出する。「記述に気をつけて」読む活動にも軸足をおきたいと考え、次のように少し教材を書き替えた。


@今年もマリアナの海にやって来ました。日本から真下に二百キロメートル、回りに島一つ見えない海の真ん中です。毎年のようにここにやってくる目標は、ウナギがどんな一生を送る生き物なのかを検査することです。あざやかな紅色の海は、白い船体を青くそめてしまいそうです。
Aウナギは、日本各地の川や池にすんでいます。それなのに、なぜ、はるか南の海にまで検査に来るのか、不思議に思う人もいるでしょう。実は、ここが、日本じゅうのウナギが集まってきて、いっせいにたまごを生む場所なのです。ここで産まれたウナギの赤ちゃんは、漂流に流されながら、間近な日本にやって来ます。
Bここがその場所だと分かったのは、つい最近のことです。ウナギの研究の第一歩として、たまごを産む場所を見つける調査が始まったのは、二〇三〇年ごろのことでした。それからこの場所がつき止められるまでに、実に七十年以上の年月がかかったのです。


 最初、それほど気にせず読んでいた子ども達が「ウナギの研究の第一歩として、たまごを産む場所を見つける調査が始まったのは、二〇三〇年ごろのことでした」におやっと立ち止まった。「二〇三〇年がおかしい」。その通りである。教科書では「一九三〇年ごろのことでした」という記述がある。最初は、なるほどと思って読んでいたのが、間違いがあるかもしれないという気持ちで読んでいくと次々と間違いが見つかってくる。
 <日本から真下に二百キロメートル、回りに島一つ見えない海の真ん中です>では、「真下・二百キロメートル・回り」が間違いであることに気づく。地図では上とか下という表現で位置を示さないことを理解する。距離は二百キロメートルでは近すぎる。二千キロメートルが正しいことや「回り」と「周り」の違いを辞典で確かめる。当たり前に思い、知っていると思っていた言葉の理解が曖昧であったことに気づくのに十分な学習であった。

2.「あざやかなぐんじょう色の海は、白い船体を青くそめて」
 語いを広げる指導は、語いに関心を持たせる導きが必要である。<あざやかな紅色の海は、白い船体を青くそめてしまいそうです>。この文の間違いに気づいていたが、「青色」であろうと予想はできても、「ぐんじょう色」を知っている子は少なかった。豆知識として「青・、蒼、碧」があることや「ぐんじょう色(群青色)」を指導することで興味を持たせることができた。写真で確かめながら、船上で調査をする人達への思いを広げることができた。いきなり、群青色を目しているとそれほど感動が湧かないが、言葉を確かめる過程で、興味を持つようなったといえる。
 <毎年のようにここにやってくる目標は、ウナギがどんな一生を送る生き物なのかを検査することです> 。この文章では、「目標」は「目的」であり、「検査」は「調査」が正しい。二つの語句は日常的に当たり前に使っているが改めて調べることによって、言葉の意味を確かにするだけでなく、丁寧に使おうとする方向に学習態勢を整えさせることができた。
 <ここで産まれたウナギの赤ちゃんは、漂流に流されながら、間近な日本にやって来ます>。この文章では、「産む」は正解であるが「生む」との違いを説明させたり、「漂流」が明らかに間違いであることに気づかせたり「間近」を「はるばる」と置き換えさせたりして、語いを拡げることにこだわった最初の段落の読みであった。
 語いに関心を持たせながら、次の段落を研究者の行動や、ウナギの生態について丁寧に読もうとする気持ちを盛り上げた。

3.「たまごを産む場所をさがす調査は、より小さいウナギを追い求めることから始まりました。」
 <実はここが、日本中のウナギが集まってきて、いっせいにたまごを産む場所なのです>と、なぞの解決を示し、どのように解決したかを述べていると考えると「たまごを産む場所をさがす調査は、より小さいウナギを追い求めることから始まりました」の意味を理解をさせることが考える力だと思い、一文を丁寧に読ませた。
 普通は、小さい卵から、大きくなっていく姿を研究の対象にする。しかし、文章は逆の考え方を示している。文章を研究者の目で読むということはどうすることかを考えさせるには時間がかかる。が、仮説や結論、明らかになったことや次の課題を考えさせる力は丁寧な導きがあればできる。例えば「生まれてすぐのレプトセファレスもとれないことが何年も続きました」「知りたいことはまだまだふえるばかりです」という文章を手がかりにして理解を深めることを大事にする。
 誰かに自分の読み、あるいは気づき伝えたくなる。紹介文はこのような読みから始まる。