「カラオケ」でない現象がいいな
森 邦 博

 「カラオケ現象」という言葉があることを知った。それは、次の様なことであるという。
 「誰かが歌っているのに、周りはほとんど、あるいは誰も聞いていないことが多い。何をしているかというと、自分の順番が来たときに歌う歌をカラオケ本で探したり、あるいは、歌の内容とは関係ないおしゃべりをしているのである。それでも、歌が終わったときだけ、お義理に拍手したりする。
 要するに歌いたい人ばかりで、聞こうとする人がいないのだ。歌っている本人は歌い終わってそれで十分満足している。」(伊藤進著『<聞く力>を鍛える』講談社現代新書)

 このような「カラオケ」ルームでの様子を称して「カラオケ現象」と言うそうだ。発信したい人ばかりで、受信しようとする人があまりいない。つまり聞き手(適切な)の不在である。ここでわざわざ(適切な)と書き加えたのは、コミュニケーション能力を育てるというときの大切にしたいことだとの思いからである。
 コミュニケーションは、送り手と受け手が存在してはじめて成立する。ということは、みんなで同じ空間にいて、歌を歌って楽しむという同じ思いで集っているのだから、「カラオケ」を通してコミュニケーションが成立しているように見える。だが、送り手(歌を歌っている人)はいても受け手(聞いている人)と思える人が不在ではコミュニケーションは不十分か不成立。受け手を生かすことが授業のポイントかなと思うのである。

 こんな授業場面を参観した。
 1班が音読発表をする。自分たちの読みたいところを。まずはその理由を言って音読する。次に2班が発表する…。指導案では6つの班が順番に音読をし、班ごとの音読発表を聞いてよかったところや感想を交流するとある。
 いくつか進んでいったとき、音読を終えた班のA児がこうつぶやいた。
「あ、わかった。僕のところ、やっぱり、○班の読み方をしたらよかった。」
 A児は、自分が発表した音読では、少ししっくりとこない思いを持っていたのだろうか。ほかの班の音読を聞いていて、「やっぱり、他に考えておいた音読の方がピッタリくるんじゃないか」と気付いたのだろう。それでつぶやいたのだろうと思う。
 こんな聞き方をしてほしい。と思った。何度も練習をして、素晴らしい音読を発表する。これも全くバツというわけではないが、「○○さんの、こんなところが私にとって参考になる」というように聞くことができ、それを伝え合うことが自然にできる学級に育っていってほしいものだと思った。
 その学級では、先生がA児のつぶやきに気付かれて発言の場を与えた。受け手が生かされた場面だと思った。
(滋賀県教育会)