第42回国語研究集団合同研究会に参加して
西 村 嘉 人
 厳しい暑さが始まったばかりの7月26日(土)。大津市「瀬田の唐橋」近くの「アーブしが」にて、第42回「国語研究集団合同研究会」が開催された。
 テーマは「子どものコミュニケーション能力を高める国語学習の創造」である。

「提案と協議1」は、本川達雄先生(竹の会)。「聴き合い、話し合いを通して、自分の読みを深める授業をめざして」を追究テーマに、「ひとり読み」と「聴き合い学習」を軸にした「一読の力をつける」ことをめざした説明文指導に実践報告された。授業記録は課題「始めの問いはどの段落まで読めば解決するか」について「ひとり読み→グループの共同学習」に続く全体での共同学習の場面であった。詳細な授業記録を読み取ると、子どもたちが意欲的に自分の考えを述べている様子や友だちの発言から自分の考えを見直そうとする様子がよく伝わってきた。ただ、子どもの発言が「5段落で…」「9段落で…」と、「どの段落まで」にこだわった発言が多く、「この説明文をわたしはこのように読んだので、○段落までで解決する」のような内容の読み取りに絡めた発言が少ないことに課題を感じた。

「提案と協議2」では、南波さくら先生(東風の会)が「自分の思いを適切に表現する力を育むことをめざして」をテーマに、単元「歌人になろう」の実践報告をされた。「みつける―みとおす―もとめる―ひろげる」の指導過程を構想し、二例の短歌から表現の特徴を導き出し、その特徴を生かして創作活動へ学習を展開している。子どもたちが北海道での宿泊体験を詠んだ短歌はどれもよくできていた。提案を聞きながら、二例の短歌の読み取りだけでこれだけの創作活動が生まれたとは信じがたいところがあった。もう少し詳細な授業記録があれば…と残念に感じた。

「提案と協議3」は、藤井隆一先生(さざなみ国語教室)。「どの子も力のつく国語の授業をめざして」のテーマで、2年生の物語文「お手紙」の指導を提案された。毎時の詳細な授業記録や学習ノートの記録を提案資料として用意されたので、授業の様子がたいへんよく分かった。授業記録を残す意義を改めて感じたところである。しかし、「お手紙」という素敵なお話を子どもたちが楽しんで先生と教室で読んでいる様子は伝わってこなかった。「子どもはすごい!」と、もっと誉めてやることが、どの子にも力をつける近道ではないかと感じた。

 研究会の最後は吉永先生の講演。演題は「国語力は人間力〜K小学校教育の根っこ」。8項目の「根っこ」を教えていただいた。
 根っこ2「学校の基本に関わることを教える」。至極当たり前のことなのだが、「学校ですることは勉強である」という言葉が耳に残っている。この「勉強すること」の真意をわたしは理解し、子どもたちを真摯に導いているか、と自分に問い返してみる。吉永先生は、よく「学校は楽しいところではない」「勉強は楽しいものではない」と言われる。わたしは子どもに、そして同僚教師に「学校は楽しいところ」「勉強は楽しいもの」と誤解させていないだろうか。「学校が楽しいところになる」可能性はある。「勉強も楽しくなる」可能性はある。それは、「できる」「分かる」が積み上がってこそ実感できるものである。始めから「楽しい」と勘違いさせるととんでもないことになる。そんなことを思いながら話を聞いていた。
 根っこ7「困ったと思えることが新しい知恵を生む」、根っこ8「学校生活を国語力育成の場にするとわくわくする教育事実が見えてくる」。まだこのことは自分のなかで実感をもって、噛み砕けない言葉である。自分なりに納得できる事実が見えるようになるまで、あとどれぐらいかかるのだろうと焦ってしまった。

久しぶりに参加できた国語の研究会。心地よい疲れのなか、国語の授業への欲求が高まった熱い一日となった。
(彦根市立高宮小)