何を どう伝える
廣 瀬 久 忠

 第42回国語研究集団合同研究会がこの夏,大津のアーブ滋賀で行われた。
 竹の会、東風の会、さざなみ国語教室のそれぞれの同人から実践提案とその協議が行われた。
 さざなみ国語教室からは「どの子も力のつく国語授業をめざして」をテーマに藤井隆一先生が2年生「お手紙」(東京書籍2上)を教材として提案した。
 藤井先生の提案は、いつも膨大な量の資料提示がある。今回も提案資料B4判24枚。抽出児3児のノート書かれた内容B4判6枚。児童のノート例B4判2枚。教材文縮小版B4判2枚。これだけの資料をこの提案のために準備された。

 さざなみでは子どもの学習の様子がつぶさに分かる資料を示す努力を続けている。教室の臨場感を共有し、学習を子細に読み込むことで、子どもの学び方と教師の指導の在り方の具体を根拠として子どもの学習の質の高まりを追究してきた。そこに基本があるが、藤井先生の提案資料は非常に多い。多すぎるのかもしれない。しかしながらこれだけの資料を衆人環視、つまびらかにして実践の総体を示す使命感には感服する。
 よく、教師にとって都合のよい子どもの発言を全体の発言としたり、一部の子どもの学習ノートを全体のものと言ってみたりすることが見受けられる。しかし、その多くをさらけだす勇気を大切にしたい。

 実際に授業参観をすればその多くを知ることが出来る。しかし、紙上提案には自ずと限界がある。そうすると膨大な量となってしまうのもうなずける。
 20分の提案時間。20分で話せるわけがない。当然のごとく、本人も「長くならないように努力します」と言いながら、長い。30分を超える。仕方がない。あれも話したい。これも話したい。子どもの学びの姿を伝えたい。進行から「そろそろきりあげるよう」催促されるとしどろもどろになってしまう。もったいない。  自分の実践の総体を記録し、提案資料を作るとき、聴衆に何を伝えるのか。どのような順で伝えるのか。聴衆に何を理解させ、何を持ち帰らせるのか。それを考えることが必要であろう。

 よく新作映画が封切られると予告編が長短いくつかテレビでもインターネットでも盛んに目にとまるようになる。興味をひいてインターネットで検索すると「解説」「あらすじ」「制作秘話」「キャスト」「スタッフ」「ニュース」と必要に応じてそれぞれの概略を知ることが出来て、本編を楽しむことが出来る。このあたりに提案の秘策があるようだ。折角の本編をさらに味わえるように。
(湖南市立菩提寺小)