国語力は人間力 (2) 授業を変える
吉 永 幸 司
  5 言葉の力が自立を促す

○自立と言葉の力

 学校の安全や怪我について社会全体が問題にしていた頃のことである。養護教諭が保健室の様子について次のように語り、注文に来たことがあった。
 「うちの学校の子は、自分のことなのに怪我や病気のことが語れないのです。保健室に来る子は怪我や病気です。本人しか分からない痛さや状況を言葉には出しません。問われたままに肯くだけです。体の調子や怪我をしたときの様子をしっかりと話すような子に育てるのがうちの学校の課題です。」
 養護教諭の話の内容は明確であった。自分のことを自分の言葉で責任を持って話せる子どもになっ てほしいということであった。たとえば、怪我で保健室に来る子は、はっきりと自分のことを言えない。「痛いのですか」「どうしたのですか」と尋ねられても、要領よく答えられないのである。問いに対して、首を振り、肯くだけの子を前にして途方に暮れるというのである。そこであれこれ聞き出し、ようやく対応をするので、聞き出し方を曖昧にすると手当が充分できない不安があるというのも納得できる話であった。体の安全を預かる立場からの言語力の自立は理解できた。

○生きる言葉を自覚させる
 保健室の実態は、国語科の授業では、何時、どこで、どのような状況であったかということについ て話すという指導内容が定着していないからであると捉え、国語科の授業で徹底した指導をした。国 語科の授業だけでなく、全校に指導をする事項として「丁寧語で話す」「文末まで意識して話をする」「文で話す」を決めた。その結果、次のように、具体的に話をする子が増えてきた。
 「2時間目の体育の時間、鉄棒から手を離しました。片手をついて、手がねじれたようでした。少し辛抱をしたら痛みが止まったので、大丈夫だと思ってそのまま勉強をしました。3時間目の終わり頃から、また痛くなったので、先生にそのことを言いました。先生は心配だから保健室へ行きなさいと言われたので来ました。先生、どうしたらよいですか。」
 この伝え方を聞きながら、自分のことをしっかりと話す、大事なことを落とさず話すというのは、 このように話せることだろうと確信した。そして、国語科はこのように日常生活に役だつ方向へ意識 を高める必要がある。しかし、それは、放っておいても育つものでなく、指導をすることで習得する ものということが分かってきた。
 分からないことは教えるという指導は日常的には躾がある。ややもすると躾は、家庭で行うものと いう考えから、家庭への連絡も、躾の内容でできていないことを伝えるという方向になる。しかし、 場に応じた話をする、目的を持って話すというように考えると国語科の指導内容になる。教科書で学 ばせるという枠を広げ、人間力と位置づけると自立の視点がはっきりしてくる。

○教師の言葉が学びの対象
 同じような話し言葉に関する事柄が、職員室でも見られるようになった。用紙を必要とするとき、 職員室に入って「先生、紙」と言っていた子が、「失礼します」「今、いいですか」と言うように なった。また、「2年生の2組です。生活科で大きい紙が3枚ほしいのです。どの先生にお願いした らいいですか」と適切に用件を伝えられるようになった。一方、職員室では教職員が、これまでの「先生いますか」を「先生はおられますか」と訂正させる様子も日常的になった。
 保健室や職員室の風景は、自然に生まれるものではない。言葉によって子どもの自立を促すという 考えを徹底することであり、丁寧な言葉を使うことが大切であるという指導を積み上げることが子ど もを育てる。それが、授業や子どもを変えていくのである。学習指導要領が示している言語感覚の育 成も言葉の力の自立という面から見ていくとわかりやすい。日常の言葉に意識を向けると言葉の実態 がはっきりする。教師の言葉は子どもの学びの対象である。

  6 国語科の授業を変える

○国語科授業に非日常性を

 国語科の授業の一般的な方法は、これまでは、教師が質問し子どもが答えるというものであった。その場合、内容が優れていれば、表現の仕方が十分でなくても高く評価する傾向があった。授業おいて、発言の内容や発言の仕方の評価の基準は教師にあった。発言に対して、教師がどのようなコメントを加えるかということが関心事になっていることが多い。「友だちの考えを聞きましょう」「自分と比べましょう」と言われても、比べ方は教えてもらっていない。上手な発言の仕方は知らない、という教室の実態は、子ども達にとって日常生活と同じである。非日常を期待している子ども達には退屈なのである。

○授業に織り込む自立の視点
 自立という視点で授業を見直すと教室の様子が変わってくる。発言の深さや正しさもあるが、いか に自分の考えを相手に分かるように伝えようとしているかということに目を向けるのである。話し合 いにおいても答えの言い合いでなく、互いに何を考えているのかということを大事にする。間違いに 見えるような発言に真実があることも見えてくる。自分では気がつかなかった新しい見方も学ぶ。国語科の指導内容でいえば、「話題に沿って適切に表現をすること」という国語語力育成にかかわって、大事にしたい指導内容に高めていくのである。どのような言葉の力を育てるのかという視点で授業を見直すと今までの授業とは質が変わってくる。

○国語科授業の改善のために
 国語科の授業を変えるために、次のことを大事にしたい。
(1) 文章を正確に、適切な言葉を使って書くという国語科の本来の目標から外れない授業をする。
 正確に読む、適切に表現をするということを授業で大事にすると子どもは確実に変わってくる。先 ず、課題を自分のものにする学習姿勢が育つ。相手を意識した言葉の使い方ができるようになる。そ れほど派手ではないが、国語科の勉強は大事だという気持ちを持たせる上で鍵になる視点である。
(2) 言語活動を豊かにしながら、言葉の意味や働きを体験的に理解し、言葉を習得するような授業を構成する。
 話し合いだけの授業では、習得状況ははっきりしない。しかも、子どもは非日常が好きである。言 葉を使い、言葉の働きを生かしながら、気に入った言語活動を繰り返す。それが確実に、子どもの国 語学力を伸ばしているという言語活動の開発や授業の工夫が国語科授業を変える源になる。
(3) 漢字が書ける、辞典が使える、敬語で話せる、丁寧な言葉で話をする、文字を丁寧に書く等国語の 基礎力を授業で育てる。
 基礎力の育成は国語科授業の使命である。言葉を使って考える、言葉で気持ちを伝えるなど言葉の 力は大きい。
 日記を書く、読書をする、漢字を覚えるなど目立たないが、このような日頃の言語活動は人間形成 の上で大きな力を発揮する。

  7 国語力の基礎を考える

○読む・書くを丁寧に指導する

 読み書き算盤ということが伝統的な日本の学力であるという時代があった。「読む・書く」の活動 もまた、国語科の授業で、特に大事にしたい学習活動である。
 「読む」ことの活動では、音読や読書、更に、教科書の文章読解がある。授業の中心は、読解をす る活動に傾くが、その力を伸ばす方向を定める、内容や表現に対して集中して学ぶ子が育つ。
 3年生「ありの行列」の授業で蟻の生態の不思議さに感心した子がいる。ウィルソンの科学者とし ての実験の手法や観察の仕方を学んだという子もいる。段落や文末など表現に関心を持つ子もいる。
 読む活動は個性的である。その個性を生かした読みを束ねることが、さらに読みの力の幅を広げる。
 書くことにおいては次の事例がある。3年生が1年生に手紙を書くという活動をした。できあがっ た手紙には、難しい漢字にルビを添えていた。その理由は「1年生が読めるように分かりやすくした いと思った」ということであった。

○相手意識。目的意識を持つ
 相手を意識すると、手紙に振り仮名をつけた事例のように書く活動にも広がりが生まれる。  多様な読みの視点があることを学んだ子が、友だちの読みに興味を持つようになる。「教えてほし い」「学びたい」「もっと知りたい」という気持ちの蓄積が、言葉に対する労りになり慈しみになっ ていく。読むこと・書くことの経験が、話すこと・聞くことに生きてくるのは、相手意識や目的意識 が明確になった時である。
 話し合いの学習で、「どうも話がうまく伝わらなかった」と、残念そうな表情で席に着く子がいた。その子を見て、次のように指導をしている教師がいた。「自分の話が相手に分かってもらっているかどうか考えて話したのです。上等です」と、今、何が大事であるかということを分かりやすく説明をした。この指導は、国語科の目標である自己評価の観点を意識するところから生まれてくる。
 このような相手を思う気持ちを言葉に表したり、時期を逸しないきめ細かな指導が国語力の基礎と して蓄えられていくのである。読む・書く等の言語活動は、国語科の授業を上手に行うという意味で はない。人間の基礎力を育てるという視点で考え、国語科の授業で改善しなければならない。

○国語力の基礎となるもの
 国語科の授業は言語教材や具体的な言語活動を伴って成立する。それは、読む・書く、話す・聞く という活動になる。しかし、言語活動をすれば完結するというものではない。人を大事にする気持ち があり、言葉を愛する心の裏づけがあって成立するのである。低学年の子どもが読めるようにとルビ をつけるような気持ちが生まれたり、聞き手を意識して話をしたりする心の育成になることが大切で ある。このことから知識と技能が一体となり、国語の基礎力を育てるのである。

  ま と め

◆「国語力は人間力」と捉え指導を積み上げると、子どもが自らの生活を拓いていくようになる。「国語の授業で学んだからできるようになったことがある」「国語の授業があるから、自分が利口になった」と言える子どもの育成を目指すことが授業づくりで大事にしたいことである。
◆子どもが変わる、学校が変わるということ大事にすると、完結型授業では、子どものよさが見えて こない。授業に対する意識を変えると、小さな変化が見えてくる。その積み上げが、子どもや学校を 変える。言葉の力を持たない子どもからのS0Sを見抜き、子どもの伸びをしっかり受け止めるので ある。
◆分かりやすい授業をすることである。目標が具体的になる。言語活動量を子どもが自覚する授業に することである。言葉に責任を持たせるためには、考える授業、分かりやすい授業を日々積み上げる ことである。