国語力は人間力 (1) 授業を変える
吉 永 幸 司
  はじめに

 国語科授業の風景と言えば、大きな声で音読する教室や友だちと意見を交わし合う姿が思い浮かぶ。多くの場合、集団として学習をする姿である。国語の力がある子どもという見方をすると、本を読む子、漢字をしっかり覚えている子などが話題になる。
 国語科の教科目標は次の通りである。


 国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。

 「国語を適切に表現する」「正確に理解する」という国語科の目標を達成するためには「理由や事例を挙げながら筋道を立て、丁寧な言語を用いる」など学習指導要領に示している内容や言語事項が、生活に生きて働くことをめざして授業を構成することである。
 現行学習指導要領の趣旨である「実生活に生きてはたらき、各教科等の学習の基本ともなる国語の能力を身につけること」という言葉の意味を重く受けとめたい。

  1 国語力は人間力

○国語科授業と人間形成

 学校生活のほとんどは言葉の行き交いで成り立っている。その学校生活において、豊かな言葉が使えるかどうかは、日々の生活が充実する鍵を握っている。
 保健室で怪我の手当を受ける、職員室へ用件を伝えに行く、上級生として下級生に関わるなど、言葉を意識して生活をする機会は多い。時には、言葉の行き違いで喧嘩になることもある。気分が悪く、友だちに嫌なことを言うこともある。学校は、言語生活の充実という視点で見れば学習機会は多い。

○言語生活を束ねる国語科授業
 国語科授業は日常生活の言語力を束ねている。 「もし、この子に言葉の力があったら、友だちも増えるし、楽しい学校生活になるであろう。」
「気持ちを考える場面、気持ちを表す言葉を授業でしっかり学習している。その力が生活に生かかせていない。」
 国語の勉強が日常生活に生きていない現実を足場にして、子どもを見ていくと、国語科の授業の大 切さや新しさが見えてくる。特に、トラブルの解決などに関わった時、事柄が具体的に話せないのは、性格的なことだけでないことに気づくことが多い。国語で習得している国語力が活用できていないのである。

○国語科授業は生活を変える
 学習指導要領が示している、思考力・判断力・表現力の育成は、言葉を大切にする豊かな言葉の生活と深い関わりがある。人間力のそのものであると考えている。
 国語科の授業で習得をさせている力のほとんどは、日常生活に必要なものばかりである。入門期の 国語科教科書は挨拶から始まり、丁寧語を使った文章や読書への導きで溢れている。これは、学年が 上がっても変わっていない。
 国語科授業で習得した知識や技能を人間力と結びつけて考えると分かりやすいことが多い。今の言語力を、授業という場で伸ばせば、確実に生活は高まる。人間力と結びつける授業を探ってみたいと目の前の子どもを見ながら考えてみた。それが、国語科授業の考えを変えると授業は変わるということである。

○国語科授業と活用力
 国語科授業に言語力の育成と活用力の育成という視点を持つ必要がある。国語科授業を授業という 枠で完結するのでなく、日常生活を豊かにするという考えで見直すと、今まで見えていなかった新し い形がはっきりしてくる。

  2 子どもと言葉ー生活の実際

○言語生活の実態

 トラブルが多い学級があった。教室の言葉は、単語の行き交いであり、誘う言葉や受け入れる言葉 の貧しさを感じる日常であった。
 諍いの多くは、友だちの言い分を聞かない、自分の言いたいことが相手に伝えられないのが原因で あった。また、進んで学ぼうという気持ちを持っていても、質問に答えられないとか、分からないこ とがはっきりしない、まとめ方が分からない等、言葉に関わる基本となる力の弱さから学習に意欲を なくす子も多い。
 保護者との関係では、子どもが学校での喧嘩や自分に都合が悪いことを、家庭に帰ってから暴言、 暴力というような単語で伝える。そうすると保護者は、その単語から全体を理解し子細を聞きただそ うとしないまま出来事を知ろうとすることが原因になっている。子どもが親に言う「僕は何もしていないのに叱られた」という言葉や、「何もしていない」から始まる言葉の矛盾に気づかず、誤解や曲解をする。
 友達を思いやる温かい言葉、分からないことを伝える言葉、正確に事柄を知らせる言葉の脆さ感じる学級であった。

○言語力の脆さを克服する
 トラブルが多いのでなく、トラブルを解決する言葉の力が無いと見ていくと改善の余地が見える。  質問の仕方を教えればいい。分からない時には、自分の気持ちを伝える言葉を教えればいい。出来 事を家庭に話せないなら、話し方を教えればいい。国語力を目指して学級づくりを始めた。そして、 気がついたら、トラブルを生きる力に変えていく逞しさを身につけた子どもが育つ学級になった。  できないなら、できるようにするという信念に応えるのが言葉の力なのである。

  3 言葉を大事にすることから

○言葉を大事にするということ

 国語科の言語活動は、話すこと・聞くこと・書くこと・読むことである。これは、特に国語科を意 識しなくても日常的に行っていることである。更に、言葉を使ってということであれば、日常生活の ほとんどが国語科の授業で行っていることである。体育科や音楽科と違って非日常性でないので、国 語科の授業に緊張感がないのだろうと思うことがある。

○国語科授業に緊張感を
 国語科の授業で緊張感を持たせるには、日常の言語生活を基盤にして、「国語を大切にする」こと を学習として教える必要がある。
 例えば、学習は指示から始まる。「教科書を出しましよう」「ノートに写しなさい」という指示で活動ができる学級とできない学級がある。指示の通りに活動ができるかできないかという面で見ることは少なく、性格や態度として判断をする。しかし、国語の授業の指示は、聞く力を育てているというように捉えると、反応が気になる。指示通りに活動ができた子とできない子を聞く力で判別すると、指導の手立てが生まれてくる。集団としてまとまりがなければ、繰り返し聞く力の指導をする。個人的に聞く力を育てる必要があれば、聞き方から指導をする。子どもの実態に応じた指導をする。

○学ぶ喜びと言葉
 学習活動をしているうちに、内容が分からないとか、話し合いに参加しないという壁が立ちはだか る。それを乗り越えるために、発表を聞く、質問をする、意見を述べるということを自覚させる。こ の過程で学ぶ喜びを見い出すのである。言葉が生きて働くのは、学校生活という場では、共に学ぶ喜 びを体感するときである。つまり、学び合う喜びは、「聞く」から始まる。その力が、「話す・書く・読む」へ広がっていく。

○言葉の力と子どもの育ち
 よい授業が言葉の力を育てる事例に、1年生の音読の授業がある。
「先生が読むように真似をして読みなさい。そうしたら上手に読めるようになります。」
 このように指示をして成果を上げた教室がある。子どもは、先生の読み方の通りに真似をして読め ば、上手に読めるようになったという成就感を持った。そのことが、担任に対する信頼になっている。このような学習の経験を積み上げることで大人を尊敬する心が育つという筋道である。
 一方、学校が抱える課題の一つに学級崩壊がある。学級が崩れるということの原因は、子どもが学 級の約束ごとを守らなかったり、自らの行動に対する自覚が希薄なことである。その原因に、言葉の 乱れがある。乱雑な話し方や人格を傷つけるような言葉を平気で使うような雰囲気が教室を支配して いる場合である。その教室では、良くないと思っていても、「やめよう」という言葉は言えないから である。言葉に対する基本ができていないことが原因である。つまり、言葉の生活に対する自立への 指導が十分でないといえる。

○言葉の生活における自立
 言葉の生活における自立とは、
「僕の言い分をしっかり聞いてください。僕の言いたいことをもう一度言ってもいいですか。」
「あなたを誤解していました。僕はそうは思わなかったので腹を立てたのです。」
「お母さん、今日、友達と嫌な出来事があっだけれど、いっしよに話し合ったら問題が解決しました。心配しないで下さい。」
「問題は解決していないので、このようなときに、どうしたらいいのですか。」
と、話すことができることである。
 これは、日常生活で獲得している部分もあるが、改めて学校という場で指導をしなければ育たない言語力である。きっかけは話し合い活動で行っているが、場に応じて言葉は、指導を得て育つ力である。国語と日常をつなぐ意識が出来事を教材化するのである。
 言葉の力を育てるという意識を強くもって指導するということは、子どもの学校生活における出来事に対して、丁寧な指導をすることである。特に言葉にかかわるものを、生徒指導や生活指導の問題として狭くとらえず、「国語力」として位置づけ、国語科授業の改善を図るという姿勢を大事にするのである。

  4 学級文化を国語力の面で見る

○学級文化と国語力

 学級文化を国語力の育成という面から見ていくと分かりやすい。
 日記等、日常的に書く場があると、子どもの書く力は確実に伸びている。学級会が上手に運営でき ている教室は話し合いがなめらかである。先生が話し上手だと、聞く力が育ち、聞き上手だと話し上 手にな子が育つ。
 時々、学級が、国語の授業で燃える時がある。読書週間とか、音読会、読みの授業の討論である。 その時は、一番熱く燃えているのは学級担任である。学級文化の雰囲気を醸し出すのは、教師の国語 への関心である。
 かつて、読書で学級づくりをしたことがある。クラスで少し難しい本をみんなで読むということを 目標に、卒業の時期や授業に少しゆとりができるとその時間を利用し積極的に取り入れた。選んだ本 は、『福翁自伝』『クオレ』『次郎物語』等であった。読書の方法は、読む順番を決め音読するとい う簡単なものであった。読書をすることで学級に落ち着いた雰囲気が生まれた。卒業後も「あのとき の読書がよかった」と感想を伝えてくれる子もあった。学級文化は国語力の基盤である。 (以下次号)