巻頭言
びわ湖岸健康ウォーク
中 嶋 芳 弘

 今春、3月31日、定年をもって教師の仕事から去った。私がこの日を迎えることができたのは子どもたちと保護者の皆さんと教師の仲間と家族のおかげだと感謝している。

 その私が、毎日にしていることが3つある。1つ目は朝のウォーキング。次に、ローカルFM局の番組の放送原稿の準備。そして、放課後児童クラブ指導員の仕事である。

 退職しても子どもと関係のあることをと探していた私が付いたのは放課後児童クラブ指導員の仕事。その仕事を始めて間もない4月の終わり、救急搬送され、病室のベッドに横たわっていた。おまけに、左半身が動かせない。脳梗塞である。高脂血症、血糖値が高い。気にはしていたが、ダイエットで下げたことがある。肥満ではない。血圧は全く問題なし。慢心である。退職して子どもも結婚したし、好きなものを食べたって……、油断である。幸い妻の発見が早く、現代医学の力とリハビリで、命が助かり、麻痺も残らずにひと月後に退院した。

 そして、始めた「びわ湖岸健康ウォーク」これが存外楽しい。昨年から始めていた「彦根地名しりとり」の放送原稿執筆と結びついているからである。本やネットで調べて執筆するだけでなく、取材や確認のため、現地を歩いてみる。そして、そうか。そうなんだと納得する。今年の台風で琵琶湖の水かさが増し、湖岸のいろいろなところが水浸しになったりあふれそうになっていたりした。水面がもっと高かった昔のこと。土手が築かれていない昔、道路が水路であった昔の様子が頭に浮かんだ。

 彦根で言えば、城は北の内湖に接し、現在の道路は各所で堀であり、まるでびわ湖岸の水城である。今は畑地や学校、総合運動場、ショッピングセンター、住宅地になった松原内湖。そして、その周りの公園や道路、松原の浜が私の健康ウォークのホームグラウンドであるが、その場所の昔、さらに昔を想像しながら歩くと万歩計を友に歩くより何倍も楽しい。

 早朝、出会うウォーキングの人、畑で働く人と会釈を交わす。中には、声をかけてこられる方もある。「私は、毎日3時半から歩いているんです。先生、今のままでは危ないよと教え子に言われましてね。駅前から天の川まで行って帰ってきます。体重も減って健康になりました。」どうやらもと学校にお勤めだったらしい。
(彦根市)