巻頭言
褒められた記憶
浅 原 孝 子

 小学や中学時代のことを克明に覚えている人を見かけるが、記憶力の素晴らしさに関心をする。私はその逆で、当時のことはあまり記憶に残っていない。ただ、その中で、思い出されることがある。それは、「褒められたこと」だ。

 二年生時代は九九を覚えた。九九を一段ずつ覚えると、銀色のシール、逆から言えたら金色のシールを貼ってもらえるというご褒美だった。このキラキラ光るシールが子どもの頃には嬉しくて、「ににんがし、にさんがろく、…」と口ずさんでは、一生懸命に暗記をした記憶が残っている。

 四年生時代は、若い男性の先生で、子どもたちとよく会話をしていた。褒められたことが二つある。一つめは、私の作った詩を褒めてもらったこと。なかなか、思いつかなくて、苦し紛れに作ったものだったが、擬音語をたくさん使ったという記憶がある。本当のところはよくわからないが、その擬音語が評価されたようだ。その文章技術は先生から教わったものではなく、自分で編み出した(と勝手に思っていた)と子ども心にちょっと自慢したい気持ちだったということも覚えている。二つめは、画用紙から六角形の箱づくりをした授業のときだった。箱をつくってから、柄の紙を貼り、角のところに、別の色紙を貼った。別紙のアクセントが映え、とても気に入った箱になり、褒めてもらった。

 五年生、六年生は、持ち上がりで、男性の先生だった。今考えると、女子に対しては怒ることは少なかったものの、怖かったという印象がある。今となっては懐かしい記憶だが、当時は残念だったという思いが残っている。それは、夏休みの読書感想文のことだ。そのころ、私は、冒険ものにはまっていて、図書室の冒険小説を読みあさっていた。ハードカバーでちょっと昔風の挿絵も魅力的だった。それを読書感想文の本として選んだが、名作を取り上げなかったため、評価が低かった。「スリル満点の箇所がよくて、そのあたりを書いたんだけど…」と、少し納得がいかなかった。

 自分の経験からも、先生が子どもに対して褒めることはとても大事だと実感する。それが巡り巡って、不思議なことに、十一月に向け、褒める本の編集に携わっている。褒めることをシーン別に例をあげて紹介した本だ。先生方には目の前の子どもを褒めて、大きく育てていただきたいと願う。
(ライター)