子どもを見届けること
廣 瀬 久 忠

 「見届ける」とは、最後まで見て確かめる。終わりまで見る。見きわめる。とある。(大辞林)
 毎週水曜、M先生は次週予定中心の学級通信を教務主任に出す。
 それが私に回り、さらに校長の決裁がおりて、手直ししたものが子どもに手渡たされる。
 教務主任は時数、字句の間違いや行事予定との齟齬がないか子細に見て、M先生の指導を応援する。気がかりは声もかける。

 私は、それに加えて、子どもの育ちが込められている通信になっているかを読み込む。
 子どもの楽しい学びの様子や喜々として活動している学習ぶりが写真と文章で綴られているかを読み込む。学習に向かう興味あふれる子どもの笑顔や真剣なまなざしの活写は、その授業者の指導の見届けそのものである。魂である。
 子どもも読む。家族も読む。家族は、自分の子どもの毎日の姿を通して学校での様子を想像する。加えてこの通信に登場する子どもたちの笑顔や躍動感に担任や学校への信頼を深める。安心して託せる学級か子どもとの会話とその通信の「学級の様子」から伺う。
 私はM先生に5×7cm大の付箋に百字ほどのお返事を書く。しかもクイックレスポンス。忙しくても最優先で、M先生への応援メッセージを絞り出す。魂を込めて書くことへの讃辞とお礼と応援を込めてである。

 M先生の通信には「みんなへ」のコラムがある。
 9/9のコラムには子どもに向けて「○○しましょう」「○○していこう」と叱咤激励の言葉が連綿と綴られていた。あの子たちだからもっと高みをめざせるとの思いからである。
 しかし、私はこの学級の子どもが本当に真摯に努力していたことを見ている。だから付箋には「先生、子どもらはほんとによく努力しているよ。それはあなたが一番よく知っているでしょう。だから、『○○しよう』の想いも分かるけれど、○○していてすごいな。よくやっていて素晴らしいね。とあなたの受け止めた見届けを労いの言葉と共に讃えてやってくれませんか」と書いた。

 そして、次週の「みんなへ」。
「毎日、組体操や応援の準備などを一生けん命がんばっているね。肩や首、足など痛いところが出てきたり、体全体にも疲れが出てきたりするころです。でもみんなからは弱音の声は聞こえてこないね。本当にすばらしいことです。三段タワーのメンバーを決めるとき、「やりたい」と手をあげた人が本当に多くて、組体操へのやる気の高さや熱い思いが感じられうれしかったです。初めは、決まらなかったグライダーの技が力強く決まるようになってきたり、こわがっていたサボテンの技を堂々と自信を持って決められるようになってきたね。いつも目の前のことに一生けん命がんばるみんなだから、確実に前へ進み、成長していってるね。先生は、「組体操の成功」「運動会を盛り上げる」などの目標に向かって、みんなと一緒にがんばれることがうれしいです。そして、みんなの成長を身近で感じられることが喜びです。運動会まで残り4日。小学校最後の運動会が悔いの残らないものになるよう全力をつくそうね。
 私は胸一杯になり有り難く読む。M先生の心に寄り添う見届けが極まり、子どもの心にまで「届く」ことが「見届け」だと学ぶ。
(湖南市立菩提寺小)