「寺子屋」の先生の嘆きに学ぶ 
森  邦 博

 日本の学校教育の歴史をさかのぼって調べる機会があった。

 日本の近代学校制度は明治5年「学制」発布に始まる。まずは小学校の設置から始めたということである。「それ以前はどうだったか」とみると、江戸時代後期にすでに、「藩校」「郷校」「寺子屋」「私塾」等が相当数開校していたということである。「藩校」は全国で270校、「寺子屋」に至っては数万校に上るという。全国を53,700ほどに分け各区に1校の小学校をもくろんだとのこと。これもすでに「寺子屋」があってこその発想ではなかったのだろうか。

 小学校の先生もとりあえずは「寺子屋」の教師をあてたらしい。何しろ学校 (多くは寺や民家) の数だけでなく、プラスアルファの数の教員の配置がなくては学校教育は一歩も進まない。学校は作っても教員の養成はこれからという過渡期のことであるからやむを得ない。しかしながらそういうことができるのも、日本の近代教育出発の素地がすでにあったからこそとも言える。

 では、どんな人が先生になったのだろうと関心が教師に向かっていたところ、ある「寺子屋」の先生が子どもの行状について書いているところに目がとまった。
 その子は大変な子どもだという。まず先生の言うことが素直に聞けない。注意をするとふて腐れ友達にちょっかいを出す。落書きをする。机を積んで寝てしまう。「帰る」と言って泣きわめく。相当手を焼いたのだろう、「この様子の子供百人に壱人もなし」「千年に壱人もなし」と驚きと狼狽の言葉が漏れる。こんな子を教える自分の不幸を嘆くことしきりである。

 「古今、先生の悩みは共通するところがあるものだ」と同情する一方で物足りない思いも募ってくる。困ったことをする子どもの子どもは立ちすくんでいる先生を応援したい思いとともに…、この子がなぜこんなに荒れて困ることを次々にするのか、原因・理由があるのではないかとは考えなかったのかな?子どもの思いに想像を働かせる先生であってほしい。
 保護者との面談、他の寺子屋の教師に相談、といった動きの記述もない。一人で悩まず同僚や保護者と情報を交流することで子ども理解も深まるし、解決の糸口も見つかることは私の経験からもよくあることだったから。
 また、教科内容の改善、指導方法の工夫の記述もない。更には、来たくもないのに毎日通って来ているという事実を重く見たい。学級担任・教師としての基礎的基本的な姿勢を改めて考えさせるものであった。
(京都女子大学講師)