だくてんちゃんとの出会い
廣 瀬 久 忠

      この4月、市内の菩提寺小学校へ異動した。新たな学校でも「朝の歳時記」の小黒板を書きたいと願っていた。学校長から、児童昇降口の大きなホワイトボードがあるから活用してほしいと指示も受けた。
 子どもや職員の校舎内の動線を考え、職員室につながる廊下に「朝の歳時記」黒板を設けた。児童昇降口のホワイトボードには、日替わりの「今日の詩」を書き続けることとなった。
 この2つの取り組みには、私自身の中でいくつもの条件が秘められている。
 一、必ず書き続けること。途中で投げ出さない。
 一、必ず日替わりで更新すること。
 一、自分からそこに書かれていることを一切、口にしないこと。
 一、学校の教育活動のどこかに位置づく日をめざすこと。
 一、子どもの意識にしみこむことをめざすこと。
 一、子どもの生活に息づく言葉を増やすこと。

 4月8日からのスタート。
 「今日の詩」でちょっとした事件が起きている。
 児童昇降口の「今日の詩」は工藤直子の「のはらうた」を毎日1編書き続けてきた。  初めは気づかなかった子どもも、朝登校してきて、
「あっ、これ、かまきりりゅうじの詩や。」「毎日、詩が変わってるやん。」「そらそうやん、『今日の詩』って書いてるやん。」なんて声が聞こえる。話題にのぼる幸せを感じつつ、知らぬ振りをしてほくそ笑み通り過ぎる。子どもたちは誰が「今日の詩」を書き換えているのかは知らないし、それは少しも重要なことではないのである。まあ、そのレベルでいいのである。

 ところが、気になる事件が起こっているのである。起こっているのだから、続いているのである。  それは、濁点盗難事件である。工藤直子さんが「くとうなおこ」さんになっているのである。ホワイトボードの宿命。簡単に指先で濁点が消されるいたずらが続いている。困ったことだ。どう対処しようと悩んだ。
 そこで、濁点のない詩を選ぼうと探したがそれも大人げない。すてきな濁点のない詩に出会えないかと淡く願っている。

 しかし、「くとうなおこ」だけじゃなく、詩全体から濁点がことごとく消されているということは、「この子はこの詩を指をも使って読んでいる」ことになる。「今日の詩」を積極的?に読んでくれる一読者でもある。私の意識の中で「だくてんちゃん」とのバトルが続いていることは500人の中の2人だけの秘密にしている。事件の起こらぬ日は欠席しているのかと心配になる。
 「おお、今日も消したな。元気に登校しているな。」 (つづく)
(湖南市立菩提寺小)